『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』 『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』 『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』 『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』

944年10月25日、世界的音楽の殿堂、ニューヨークのカーネギーホールで今もアーカイブの一番人気となっている公演が開催された。出演者はフローレンス・フォスター・ジェンキンス、彼女は類稀なるオンチだったにも関わらずチケットは即完売、ホールの外には入りきれない群衆たちが押し寄せたという。そんなフローレンスを演じるのが、アカデミー賞®19度ノミネート、3度受賞のメリル・ストリープ。なぜか心を打たれる不思議な歌声を見事に再現、ピュアで一途な異色の歌姫を演じきった。フローレンスの夫のシンクレアにはロマコメの帝王ヒュー・グラントが新境地を開拓!監督は『クィーン』『あなたを抱きしめる日まで』でヘレン・ミレンやジュディ・デンチという名女優たちを輝かせてきたスティーヴン・フリアーズ。笑っているうちに、人生へ繰り出す勇気をもらえる感動の実話の映画化!

ニューヨークの社交界のトップ、マダム・フローレンスの尽きない愛と財産は、夫のシンクレアと音楽に捧げられていた。ソプラノ歌手になる夢を追い続けるフローレンスだが、自分の歌唱力に致命的な欠陥があることに気づいていない。愛する妻に夢を見続けさせるため、シンクレアはおひとよしなピアニストのコズメという伴奏者を見つけ、マスコミを買収し、信奉者だけを集めた小さなリサイタルを開催するなど献身的に立ち回っていた。しかしある日、フローレンスは世界的権威あるカーネギーホールで歌うと言い出して―。持病を抱えながらも音楽に生きる彼女の命がけの挑戦に、シンクレアも一緒に夢をみることを決める。さあ、笑いと涙で包まれた奇跡の公演の幕があがる!

FLORENCE FOSTER JENKINS
フローレンス・フォスター・ジェンキンス

1868年誕生。音楽家の夢を家族に反対され85年駆け落ち。苦労を重ね02年離婚。09年シンクレアと出会う。
莫大な相続財産をNY音楽界に投じ、自身は絶世のオンチながら歌手を目指し、
76歳でカーネギーホールを満席に。その1ヵ月後死去。
©The Granger Collection/amanaimages

1868年 0歳 ペンシルヴェニアで裕福な家庭に生まれる
(父チャールズ・フォスターは、弁護士で銀行取締役もつとめる州議会議員)
1876年 8歳 8歳にしてピアニストとして初のコンサートを開く
音楽の天才児とみなされ、ホワイトハウスに呼ばれ歌い、
ゼンガーフェスト(毎年恒例巨大コンサート)にソロで出演するなど注目を集める

音楽家を目指すが父の猛反対にあう
1885年 17歳 フランク・ジェンキンス(年上医師)とフィラデルフィアへ駆け落ちし、
17歳で結婚(父からの援助を絶たれる)
夫に梅毒をうつされる(当時は死に至る病気で、水銀やヒ素投与の治療により、
髪が抜けるなど副作用もひどかった)
1902年 34歳 フランク・ジェンキンスと離婚
音楽教師やピアノ奏者として生計を立てたが、腕に負った傷のせいで
ピアニストとしての成功は難しかった
1907年 39歳 貧困状態で負債未払いで訴えられる
父に探し出され、音楽家になることを諦めることを条件に親元へと帰ることに
1909年 41歳 シンクレア・ベイフィールドと出会い、数ヶ月で事実婚に至る
父チャールズ・フォスター死去、莫大な遺産を相続
母と共にNYへ渡り、お互い別の高級ホテルに住み、社交界に参入
1912年 43歳 歌のレッスンを受け、初めて公の場で歌手としてデビュー
1917年 48歳 ヴェルディ・クラブを創設
元夫フランク・ジェンキンス死去
1922年 53歳 ヴェルディ・クラブの音楽会や海軍のためのガラ・ナイトで歌う
*この頃から数多くのリサイタルなどに参加。舞台で歌う。
1930年 61歳 コズメ・マクムーンを伴奏者として雇い、ホテルのスイートルームで
毎週音楽の夕べを始める
母メアリー・フォスター死去、さらに莫大な遺産を相続する
1938年 69歳 NYのラジオ局で毎週日曜午後リサイタル番組を開始(5ヶ月続く)
1944年 76歳 10月25日 76歳にして、カーネギーホールの舞台に立つ
 *チケットは2時間で完売。観客の中には、作詞・作曲家のコール・ポーターや
 ソプラノ歌手リリー・ポンス、ジプシー・ローズ・リー、作曲家のジャン=カルロ=
 メノッティ、女優タルラ・バンクヘッドらがいたと言われている

10月30日 音楽店来店中に心臓発作を起こす
11月26日 NYホテル・シーモアで死去