Column

ファヴェーラと芸術小貫大輔 (東海大学教養学部国際学科 教授)

『ストリート・オーケストラ aka VIOLIN TEACHER』場面イメージ

「ポピュラー・アート」という言葉が、アメリカとブラジルの文化の違いをよく表しているように思います。「ポピュラー(「人々の」)」という言葉が、アメリカでは「大衆の好む」という意味で使われるのに対して、ブラジルでは「民衆が作る」の意で使われるという意味です。芸術は、一部のエリートが作りそれを人々が受け入れるのではなく、人々自身が作るからこそ「ポピュラー・アート(arte popular)」とされる…、そこがブラジルのとてもブラジルらしいところだと思います。
ブラジルを訪ねると、生活の隅々が手製の芸術表現で彩られていることにくすぐられます。郊外の貧しい住宅街の、コンクリの傷んだ長い階段が、ガウディ風に色とりどりのタイルの破片で飾り直されていたりします。街角のカフェテリアで隣り合わせた人が、知らない間に一人芝居を始めていて客を巻き込み、やがて帽子が回ってきたり、へーっと思って感心していると、向かいの知らない人に「悪くないね」とウィンクされて、思わずうなずかされてしまったり…。芸術が、人の息づかいと、汗のにおいと、人間臭い小さな欠損を伴って体験されるのです。
大学院生のころ、サンパウロ郊外のモンチアズールというファヴェーラで、シュタイナー教育という、芸術を柱とした教育活動のボランティアとして働いたことがあります。ファヴェーラとはスラムのことですが、「犯罪者の巣窟」という独特の含意をもって英語やドイツ語でも普通に使われるようになった言葉です。しかし実際にそこで暮らしてみると、ファヴェーラほど安全な場所はありません。すべての住民がお互いのことを知っていて、不審者が紛れ込んだら一瞬にして全員の知るところとなるような「コミュニティ」であるからです。
そのモンチアズールのファヴェーラが、この映画の撮影地の一つとなりました。モンチアズールで育った一人の少女がオーディションで出演者に選ばれた、その縁があってのことでしょう。名前もない端役でありながら、やけに存在感のある役柄を演じているので注意して見ていてください。私がさんざん世話になったファヴェーラの家族が、6番目の子どもとして養女にとった娘です。前半いきなり二人の少女が喧嘩を始めるシーンは、彼女の育ったコミュニティで撮影されました。本当はあんなに激しい殴り合いまで予定していなかったそうですが、ファヴェーラの人たちからの加勢の声にスイッチが入ってしまったのだそうです。自分の出自を語るシーンでは、セリフではなく「本当のこと」を話せと言われて感情が激し、主演俳優も感極まって撮影が30分間中断されたそうです。
オーディションで集められた少年少女の大部分は彼女と同様貧しい家庭の出身で、モンチアズールのようなコミュニティの教育プログラムで育てられた子どもたちです。学校外のそういう教育のことを、やはり「人々の」という言葉を使って「ポピュラー・エデュケーション(educacao popular)」といいます。大衆を教育するのではありません。人々の中に元からある「何か」をあてにして、現実の生活文化に根差した新しい知恵を生み出そうとする教育のことです。多くのファヴェーラで、様々なスタイルの音楽やダンス、ストリート演劇、カポエイラなどを取り入れた教育がおこなわれています。
巨大な富と底知れない貧困が、引き裂かんばかりに両側から社会を二分するブラジルですが、その間に立っておこなわれる民衆教育は、二つの社会を引き合わせる珍しい場面を生みだします。ファヴェーラでヴァイオリン? バレエのダンス? ファヴェーラの子どもにとってそれにどんな意味があるのか…、よりも、ヴァイオリンにとって、バレエにとってファヴェーラが何を意味するのか、そこではそれが問われてしまいます。ファヴェーラを見下ろすひょろ高い家の洗濯場から(パウル・クレーを思い起こさせるこの景色が私は大好きです)、少年がヴァイオリンを奏でるシーンがあります。その音色にカヴァキーニョ(サンバ楽器)が即興で応じる…。圧巻です。「ホーダ(輪)」を組んでの即興のやり取りは、もっともブラジルらしい文化の伝統だと思いますが、そのシーンも探してください。クライマックスでは、聴衆が口笛でこたえ、背景で野良犬が鳴く「ありえない」環境でバッハが演奏されます。エリートの持ち込む完成されたはずの芸術が、民衆と出会って変容するところです。路地のカビ臭さと、ビールとマリワナの匂いが、崇高な音楽と相まって頭を抜けるときの情動がわかるでしょうか。

「ストリート・オーケストラ」は、エリオポリスという巨大なファヴェーラで生まれた交響楽団の誕生物語をモデルに作られました。今日ではブラジル中で知られる、誰もが尊敬する音楽教育のプロジェクトです。ブラジルというと、殺人だとか麻薬犯罪だとか、とかく暴力的な側面ばかりが報道されがちで、海外で成功する映画も、投げ捨てるように社会の暗黒部分をぶつけてくるものが大半です。ブラジル人たち自身が、自分たちの社会の貧しい半数への偏見を捨てられないからでもあります。他方、その負の現実を克服しようという試みが、最も生き生きと進行しているのもブラジルです。「平和ボケ」ならぬ「発展ボケ」した社会が見失った「変化」への切実な希求と、何しろ思いついたアイデアを試しに実践できる現場がそこにはあるからです。

エリオポリス交響楽団とエル・システマ花田勝暁 (月刊ラティーナ編集長)

『ストリート・オーケストラ aka VIOLIN TEACHER』場面イメージ

「楽器を習い始めた瞬間から、その子はもう貧しい子どもではなくなる。立派なコミュニティの一員となるべく、成長の道を歩み始める。住むところや食べるものに不自由している状態だけが貧困ではない。孤独であるとか、他人に評価されないとか、精神的に満たされていない状態も貧困である。物質的に恵まれない子どもが、音楽を通して精神的な豊かさを手にした時、貧困が生む負の循環は断ち切られる」
ホセ・アントニオ・アブレウ(エル・システマ設立者)

「ストリート・オーケストラ」はアントニオ・エルミリオ・デ・モラエス(Antonio Ermirio de Moraes)作の演劇「Acorda Brasil(ブラジルよ、立ち上がれ)」から着想を得て、脚本が手がけられた作品だが、南米最大の都市でブラジル経済の中心都市・サンパウロの南部に位置するファベーラ「エリオポリス」に実在するオーケストラ「エリオポリス交響楽団(Sinfonica Heliopolis)」の誕生を描いている。
エリオポリスは、サンパウロで最も大きなファヴェーラで、南米大陸で2番目に大きなファヴェーラだ。2008年のテレビ番組の調査によるデータによると12万5千人が居住し、その半数以上の53%が25歳までの子供や若者だ。同地で、青少年に無料で音楽教育を行うNGO「バカレリ協会(Instituto Baccarelli)」が組織したのがエリオポリス交響楽団である。
バカレリ協会は、音楽教育を通して子どもたちを貧困や犯罪から救うことや音楽で職業を得る機会を提供することを目的とし、作曲家・指揮者のシルヴィオ・バカレリが設立した。きっかけは、1996年に起こったエリオポリスでの大火災の被災から立ち上がろうとする人々の姿に心を動かされたからだ。テレビでその姿を見たシルヴィオ・バカレリは、エリオポリスの公立学校へ向かい、子供や青年たちにクラシック音楽で使う楽器を教えることを提案した。その提案に、学校の先生たちも驚いたが、何ヶ月後には、36人の子供たちがヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの練習を始めた。6か月後には、最初のコンサートを開いていた。映画の中で、主人公のラエルチは、バカレリ協会で働き、子どもたちに音楽を教えている。バカレリ協会は現在、エリオポリス交響楽団の他、楽器の習得段階にある子どもたちが参加するオーケストラ「オルケストラ・ド・アマニャン(明日のオーケストラ)」、コーラスを学ぶための「コラル・ダ・ジェンチ(私たちの合唱団)」、公立学校網で合唱を学ぶ仕組みを管理しており、およそ1300人の子どもたちが同協会を通じて音楽を学んでいる。

バカレリ協会に大きく影響を与えた活動がある。それは、1975年にベネズエラで生まれた音楽教育プログラム「エル・システマ(El Sistema)」だ。無料で音楽の基礎知識や、楽器の演奏技術を教え、オーケストラ合奏や合唱に参加する機会を与えている。音楽家であり経済学者であるホセ・アントニオ・アブレウ(Jose Antonio Abreu)が、草創期から一貫して、芸術教育が定着すれば非行や暴力は減り、子どもたちは崇高な目標に向かって努力するようになるはずだと訴え、拡大してきたこの活動は、ベネズエラ全土に広がっているだけでなく、現在世界各地55ヶ国に影響を受けたプログラムが誕生している。日本でも2012年、福島県相馬市で被災地復興の取り組みとしてシステマ式子どもオーケストラが導入されている。エル・システマジャパンは、災害によって心に深い傷を抱えた子どもたちが、希望や生きる喜びを取り戻すための活動を行っている。
一流の音楽家を次々に輩出することでも注目されているエル・システマ。20代でロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督に就任するなど、「100年に1人」と言われる天才指揮者のグスターボ・ドゥダメル(Gustavo Dudamel)もエル・システマの出身である。
「ひとことで言うと、結びつきです。エル・システマでは、すべてがつながっている。演奏することと、音楽を奏でることの社会的意義。この2つが切り離されることはけっしてありません。合奏には他者への思いやりと協働という概念が必要なので、人として成長することにつながる。つまりオーケストラというのはコミュニティーなのです。みんなでハーモニーをつくりだす、ひとつの小さな世界なのです。これが芸術的な感性と結びつけば、どんなことも可能になる」
と、音楽教育であると同時に社会政策でもあるエル・システマで学んだことを語っている。

音楽にはどのくらい力があるのだろうか。貧困と犯罪が蔓延する環境で暮らす子どもたちのためのユース・オーケストラ、エリオポリス交響楽団の誕生の物語「ストリート・オーケストラ」で、人々は音楽を通して再生し、それぞれの希望を手にしていく。

ブラジルミュージック♪

本作で、中心になる音楽はクラシック音楽であるが、ファヴェーラの子どもたちの日常を描くシーンで「ブラジルの若者の魂が宿るストリート・ミュージック」としてヒップホップが効果的に使われ、2人の最重要ラッパーが劇中にも登場する。

ハッピン・ウッヂ(Rappin' Hood)

ナイトクラブのシーンでステージに立つのは、ハッピン・ウッヂ(Rappin' Hood)。エリオポリスの隣の地区ヴィラ・アラプアーで生まれた彼は、2000年代のブラジルのヒップホップ・シーンを牽引したラッパー。活動家でもある彼は、ヒップホップ・シーンに限らず、老若男女問わずブラジルの音楽シーンで広く尊敬される。都市のストリート・ミュージックを紹介するテレビ番組で司会を務めるなど後進の紹介にも熱心だ。

クリオーロ(Criolo)

ファヴェーラのギャングのリーダーの役として出演しているのは、2010年代に入り破竹の勢いで活動を続けるラッパーのクリオーロ(Criolo)だ。役としては自身の曲を披露しないが、劇中で2曲彼の曲が効果的に使われている。1975年生まれで、教師として働いていたこともあるクリオーロ。サンパウロのヒップホップ・シーンで活動するアンダーグラウンドな存在と注目されていたが、2010年代に入ると、若者の声を代弁するラッパーとしてブラジル全土にその存在が知られていった。現在のブラジルのヒップホップ・シーンを牽引する。

エンドロールでは、2003年に銃弾に倒れた伝説的ラッパー、サボタージ(Sabotage)が残した「Respeito e lei(リスペクトすることが掟)」が使われるが、この曲にエリオポリス交響楽団が新たにオーケストラアレンジを加えている。サンパウロの路上のサウンドトラックであるヒップホップと、ファヴェーラ出身の少年少女たちが奏でるオーケストラの響きが、見事に1つの音楽になっている。音楽の力が起こした奇跡の物語を見終わって、その奇跡がこうして新しい音楽を生んでいることに、耳を澄ます。