PRODUCTION NOTES
プロダクションノート

監督がこだわった生と死の演出
本作における演出について、監督は語る。「私が目指したのは、簡潔で節度のある演出。これまでの作品では過剰さを好み、リアリズムを避けてきたの。なぜなら、しばしば現実は私を悲しませ、恐怖を感じさせるものだから。観客を退屈させるのがイヤで、技巧を凝らしてきたわ。でも本作の制作中、プロデューサーが何度も私に言ってくれた。“自分を信じろ”ってね。人生で初めて、観客の興味を引くような効果的な表現をやめてみたの。静寂や、会話の代わりに物語るまなざしを表現したわ」

本作中では、娘のディアーヌが母の死を受け入れた瞬間から、より映画に生命力が満ちるつくりになっている。監督は言う。「彼女たちは食べて、飲んで、笑いあう。映画が死に近づけば近づくほど、光の方へ向かうようにしたかった。葛藤と怒りが軽妙さと生きる喜びに変わるの。ヴィクトリアが“死者は死んでおらず、流れる水道水やネコ、森に生まれ変わる”とマドレーヌに語りかける時、太陽のようなまばゆい光が差しこむのよ」

監督は続ける。「誰も批判しないというのが、この映画の絶対的な取り決めでした。本編中の息子の反応について、共感する人もいれば、反論する人もいるけれど、何らかの理由で子供の頃から両親を恨んでいる人間は、親が死を選ぶことを決して受け入れないわ。本作の息子の場合も同じ。彼は親の死によって再び見放されるように感じるのね。逆にディアーヌのように両親と良好な関係を築いてきた人間は、親の決断を支持することが多い。私はこの映画を通して、あらゆる考えや、あらゆるケースを描きたかったの」