マーラーとエルガーの
楽曲への想い

フィールド監督は、マーラーの交響曲第5番第4楽章を取り上げた理由について、こう語る。「ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』に使われたことで、大衆的な曲だと見做されるようになった。だから、ジョン(マウチェリ)に好きなクラシック音楽の作品を聞かれた時、恐る恐る恥ずかしそうに、マーラーの交響曲第5番第4楽章だと言った。するとジョンは、『本当にクラシック音楽を分かっている人なら、第4楽章に対して皮肉を言ったりしない。『ベニスに死す』で使われていたから何だ。マーラーの交響曲第5番を基にストーリーを作ればいい』と怒った。だから、僕はその通りにした」
本当に好きだと思う音楽を追求しようと思えるようになったフィールド監督は、エルガーのチェロ協奏曲にも取り組むことにした。フィールド監督は、「エルガーがこの協奏曲を書いた当時、女性奏者がオーケストラに参加するなんてもっての他だった。だけど、最初の録音時、EMI(現在のアビイ・ロード・スタジオ)の第1スタジオで、当時まだ全員が男性奏者だったロンドン交響楽団の前で演奏したのは、ベアトリス・ハリソンという女性チェロ奏者だった。しかも、その演奏の指揮を務めたのが、エルガー本人だったんだ」と説明する。この曲はずっと忘れ去られていたが、1965年にジャクリーヌ・デュ・プレが再録音を行なったことで、再び注目を集めた。指揮者はジョン・バルビローリが務めたが、ハリソンが録音した時と同じスタジオ、同じオーケストラが使われた。