シンガーソングライター 大黒摩季さん

SPECIAL REVIEW

※本レビューは映画『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』本編の内容を含みます。

シンガーソングライター 大黒摩季さん

「 誰のためでもない、愛する人のためにアレサは歌うんです。 」

はじめに
くれぐれも私は自称、かなりのアレサフリークです!(笑)。なので、
アレサ・フランクリンを語り出したら相当長文になります故、お許しください(苦笑)。

16歳の時、それまでクラシックと日本のROCK、ニューミュージック以外、洋楽は小林克也さんのベストヒットUSAかFMで流れてくるものしか知りませんでしたが、ふと洋楽をコピーしてみようと中古レコード屋さんでジャケ買いをしたその中に、アレサ・フランクリンの「 Lady Soul 」というアルバムがあり、そのパワフルでソウルフルな声の威力に衝撃を受け、それからというものそのアルバムがデータ飛びするくらいに聞いてはその歌をコピーしまくり、更にはアレサに影響を受けたというホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーも連なってコピーしたおかげで、今のROCKだけれどソウルフルと言っていただける大黒摩季の歌となったのです☆彡

その、私が敬愛してやまないLady Soul “ アレサ・フランクリン ” は、ざっと復習すると3年前の2018年8月16日に膵臓癌のため76歳で他界、私をはじめ世界中から惜しまれ天国へと旅立ちました。その翌年の2019年その御命日にアレサフリークの女性アーティストを集めて私もアレサの追悼ライブをやり、彼女の生き様そして音楽を偲び称え歌ったことを今も鮮明に覚えています。コロナ禍でなければ毎年、アレサを歌う日は続けたかった。

話は戻りますが、彼女は1961年のデビューから私が生まれて(1969年大晦日生まれ)2歳にもならない頃、1971年頃までの10年間に、劇中のナレーションにもありますが20枚以上のアルバムをリリースし、11曲のナンバーワンヒット曲を輩出、名実ともに “ Lady Soul ” という不動のポジションを確立したわけです。

そのヒット曲と言えば、「 デイ・ドリーミング 」「 ベイビー・アイラブユー 」をはじめ、私の声が人生で初めてCDに収録された運命のオムニバスアルバム「 ROYAL STRAIGHT SOUL 」でもカヴァーさせていただいた、アレサの名刺ともいえる「 Respect 」。

これもまた私がリスペクト♪してならない世界的シンガーソングライター、キャロル・キングの作品であり、今や私のジンクス曲となっている
「 (You Make Me Feel Like) A Natural Woman 」、「 I Say Little Prayer 小さな願い 」「 明日に架ける橋 」「 Think 」 …etc.アーティストとのコラボを入れたらヒット曲はキリが無いのです。

でも、その栄華と安定に甘んじることなく彼女は1972年1月、自分が思う自分の世界へと踏み出します。子供の頃から歌ってきたルーツ音楽、ゴスペルを中心とした教会で二日間のLive Recording&ドキュメント映画収録☆彡

アレサはメンフィスで生まれ、デトロイト育ち。教会の家に生まれ、お父様が高名な牧師さん&ゴスペルシンガー、お母様も優れたピアニスト&シンガーと、所謂歌に関してはサラブレッドであり、神様と愛とリズム&ブルースが彼女の血肉だったわけです。

日本のドメスティックな活動しかしていない私には甚だおこがましい話しですが、彼女が眩いヒットメーカーから一転して、教会という小さな場所でルーツに返るLIVEを開催する気持ちはよく分かります。ヒット曲を量産し、気づけば自分自身が商品そのものとなり、このままでいいのか?私が望む生き方はこんなだったのか?なんで自分は変わりないのに周りの人たちがこんなに変わってしまうのか?自分はどこへ向かっているのか?間違っているなら修正せねばならない・・・。

ある程度、上り詰めて先が見えてくると物理的&成果主義である商業エンターテイメントの底と天井が見えて、むしろ音楽との付き合い方や生き様論や、自分が何のために音楽を奏でつくり届けてきたのか、今後どう生きるべきかというところに立ち返るのです。

自分の背に家族は勿論、沢山の人の生活も担っているわけで、それをアーティストとしての欲求と意思だけで振り払ってよいものかとも悩みながら、つまり過渡期であり変革期でもあるのです、10年目というのは。

嬉しい悲鳴でしょ!、世間から見る夢も叶って、大金持ちになって何を悩むの?なんの不満があるの?と人は言う。だからこそ、会話にならない為にそれまでの仲間や友達と疎遠になり孤立する。

けれど、本人からすれば、ソロヴォーカルとして全てを背負い恐怖にも近い責任感と緊張感と闘い続ければこそのことであり、その孤独感と重圧に壊れていくアーティストも少なくないのです。でもアレサがそうならなかったのは、いつだって深い信仰心とゴスペルという神と人を繋げる音楽のルーツがあること、女性として母として誰かへの愛のために歌っていること、つまり一般の友達に話してもわかってもらえないレベルの痛みと苦しみ、そしてプレッシャーの中でもブレない音楽との付き合い方があったからだと思います。

彼女は、私にしてみれば絶大なるスーパースター☆彡
が故に、小さな教会でのレコーディング&映像シューティングに眩いアメリカのオールスターMusicians☆彡や生え抜きスタッフが集結しまくりです!!!

Saxの名匠であり鉄壁のヒットバンドマスターであるキング・カーティス一門が集まり私が世界で一番好きなドラマー、バーナード・パーディ(Dr)、名曲の陰に必ずクレジットがあるコーネル・デュプリー(Gt)、チャック・レイニー(Bass)などそしてゴスペルプロデュースと(Piano)にジェームズ・クリーブランド。プロデューサー陣も半端ない。R&B(リズム&ブルース)という言葉を作り、レイ・チャールズ、オールマン・ブラザーズ、アレサ・フランクリン、レッド・ツェッペリン、ウィルソン・ピケット、ダイアー・ストレイツ、ボブ・ディランをヒットメーカーに押し上げた、ジェリー・ウェクスラーと、

これももぅ~ヤダ~っ凄すぎ~っ⤴⤴!! ロバータ・フラック、ダニー・ハサウェイ、チャカ・カーン、ダイアナ・ロス、ジョージ・ベンソン、デヴィッド・ボウイ、アニタ・ベイカー、ディオンヌ・ワーウィック、ベット・ミドラー、ロッド・スチュワート、クイーン、フィル・コリンズ、ホール&オーツ、ノラ・ジョーンズ…etc. このグラミー賞アーティスト全員を手掛けたアリフ・マーディン!凄すぎません?!!!しかもJ・ウィスラーとの名コンビで制作総指揮ってどんだけ~ッ⤴⤴豪華なのっ!!!

Movieの監督もこれまたどんだけ~ッ⤴⤴、な『ひとりぼっちの青春』、『追憶』、『トッツィー』で高い評価を得て、アカデミー賞にもノミネートされた。そして1985年の『愛と哀しみの果て』でアカデミー作品賞とアカデミー監督賞を受賞した、シドニー・ポラック!!!

はっきり言って国家事業にも近いくらいのパワー感です。とは言え、この面々がアレサの思いに賛同し集まるというのがミラクル☆。本人に話せば乗り気でもマネジメントからスケジュールや色んなことを理由に断られるなんてことは業界では日常茶飯事(苦笑)。
つまり心があれば本当にやりたければ、スケジュールにしても寄せて上げて何としてでも来るものでね(笑)。とにかくこれだけ最高峰のメンバーが揃うということは、彼女が天才というだけでなく、どれほど周りに愛される人格者だったかがわかると思います。

ゴスペルを務めるのは、あえて若者の多いサザン・カリフォルニア・コミュニティ聖歌隊。アレサが登場する前に彼らが客席から歌いながら登場するのですが、その曲が「 ユア・アワ・ウェイ 」。その歌詞が、この今のコロナ禍にたまたまだけれど響く歌詞と声で(涙)。

私たちは今 旅の途中
輝く日の土地へ向かう途中
私たちは 今 途上
故郷への旅の途中にある

この手に栄光をつかんだ時
歓喜の叫びをあげ語って聞かせるだろう

いかにして私たちは
成し遂げたかを

私たちは今 故郷への旅の途中

温かい声という絶大な抱擁の中で、こう諭されたら我慢して溜め込んでいた涙が自然に溢れてくる。そうだ、私たちは新たに現れた新型コロナウィルスと初めて闘っているのだ。私たちはまだ今は途上。故郷という名の安らぎ、平和な日々へ向かう旅の途中なのだ。だからいがみ合ったり、誰かが誰かを責めたり、国家や政府への不満をぶつけるばかりではなく、前線で死闘を続ける国の皆様や医療関係者の皆様をはじめ、『 命を守る人々 』をひたすら応援しながら、的確な意見は言う、そうして共に助け合いこの苦境を越えるために切磋琢磨し守り立て合わなくては、と今、歌われている気がしました。

わかってはいるけれど出来なかったり言えなかったりすることを、歌は代弁してくれ、心の傍で温かな愛で触れてくれるから普遍なのだと改めて実感するオープニングです。

そして、会場のハートが温まったら我がDIVA☆彡アレサ・フランクリンが登場し、ピアノの前で弾き語る用意をし、登場曲は「 What’s going on 」や「 Mercy Mercy Me 」などヒットメーカーであるマーヴィン・ゲイの「 ホーリー・ホーリー 」。

さすがのアレサも緊張しているのか表情はシリアス。でも時折、観客の声に笑顔を見せつつ、でもやはり緊張しているのが私としてはちょっとホッとしたりして(笑)。こういう歌うまでの途中が見られたり、手慣らしのちょい弾きが聞けるのがドキュメントの良いところですよね♪

そして席に着き、ピアノのイントロを弾き目をつぶって、その第一声がなんとまた!

まったき聖なるものよ
一緒になろう
人々よ 団結しなくては

私たちには必要だから
強さが 力が
あらゆる感情が

まったき聖なるものよ
お互いの夢を信じよう

と…(号泣)。今の私たちに、このパンデミックが続く世界に今は亡き若きアレサが『 一緒になろう、人々よ 団結しなくては 』と歌ってくれています。

いわれのない誹謗中傷や、まるで腹いせの様な無為な暴力が報道される度にやたらと生気を奪われる気がしていたので、この映像を歪んだ世界にぶつけたいです。

そして最後にアレサは…、

まったき聖なるものよ
私たちはなんでも乗り切れる この先ずっと

目をつぶりながら底知れぬ母性と温かく強く艶やかで張りのある声で勇気と希望を歌ってくれるのです。

それだけで私は自分が今、出来ることをやれているのか?やれていなければやろう!愛をもって周りと日本と世界と助け合いこの難局を乗り越えよう、そんな勇気が沸き上がりました。

誰かを責めたり追い込んだり決してせず、過ぎたことを悔やまず、コロナに奪われた人と人との繋がり、絆と温もりを音楽で奪い返そう!

そう誓ったのです。

アレサの歌声は、人の社交辞令や自分へも持ってしまう建前や、オブラートを一瞬にして突き抜けて、魂を刺激しネガティブな心の腫瘍を気づかぬうちに取り去るサイバーナイフの様です。余計に心をかき混ぜたり、疑問だけ残して終始したりしない。シンプルな言葉で、ストレートにアレサのメッセージを届けてくれるから明快なのです。

そして次の曲は、私もカトリック系の学校に通っていた女子高生の時に日々お御堂や朝礼で歌ってきた「 いつくしみ深き友なるイエス 」。

ピアノから立ち上がり、神父様がお説教なさる演台に立ち演説マイクで歌うアレサ。

彼女の声はどうしてだか、英語なのにメッセージが胸に突き刺さる。しかも刺さるだけではなく、ちゃんとその大きな手で抱き締めていかなる感情も包み込み、

「 大丈夫、いつもあなたの心には私がいる、一人じゃないからね。 」と言ってくれているような気になる。それが、才能より功績より凄いことだと私は思うのです。正に神の子なのかもしれない。

若い頃には歌詞の真意は気づけなかったけれど、今は響く。
心の奥まで響く。

私たちは幾度も安寧を奪われ
無用な痛みに耐えてきた

だから分かるでしょ?

私たちにはとても担いきれない

そうでしょ? ブラザー
シスター だから

そう すべてを
すべてをイエスに委ねる

祈ることですべて主に委ねよう
だから祈ることですべて神に委ねよう

私は、仏教も神道もキリスト教も知識ではあってもどこにも属してはいないから最後は神に委ねる、という気持ちには中々なれないけれど、でも祈ることで救いが生まれてくるのはわかる。

私達の今のこの痛みは必ずその後の力や強さ優しさ、そしてその後の礎になることは間違いない。自分の波乱万丈な人生はもとより震災などのボランティアなどを経て、逆境下で生まれた絆がどれだけ強いものかも知っている。

聖歌だけれど、彼女の声で本当にイエスが友となり
彼女のフェイクで共に祈る人々がブラザー&シスターとなり
もうアレサは大スターとしての歌ではなく。神と人々を繋ぎ守り立てる
聖女の様にも見えた。

でもその後のスタッフとの業務連絡が、オンマイクでそのまま入っていて(笑)、私にはより身近で神の子も普通のスタジオミュージシャンと思えばマニアックな見方になり、一層楽しかったです。

私は、感情の振れ幅が広くてよく自分で持て余してしまいます。音楽にして皆様に喜ばれているから感情の注ぎ口があるだけ幸せなのですが、こと哀しみを広げさせたら自分が疲れ果てるまでどこまででも堕ちて行く。けれど病気で動けずどうにもできない時、運命を恨み宿命を嘆き幸せな人を片っ端から妬んだりした、その時の自分の血はどんどん汚れて身体が重くなった気がしました。

そんな最中に、アレサの古いゴスペルアルバムを聴いたのです。幾度も幾度も神様に感謝し、愛を賛美し、哀しみを笑い飛ばすかのようにヒューマンでパワフルな歌声で高揚して行く音を病室でヘッドフォンをして爆音で聞いているうちに、ある意味その頃は憎んでしまっていた“ 歌う ”という作業だったけれど、自然にその鎖が解けてアレサと一緒に歌を口ずさんでいた。そして私も感謝をしてみたくなったのを覚えています。

それ以来、私は痛み苦しむほど寝る前に感謝をするようになりました。そして歌うようにしました。すると何だか汚れた血が綺麗に浄化された気になって次の日に悲しみや苦しみを引きずらなくなりました。

本当に私はアレサに窮地を救われてきたんです。

この映画は、アレサの歌とゴスペル隊と観客の心の声とミュージシャンのエモーショナルで踊るような音と、愛や温もりが溢れる映像で体の隅々までが浄化される気がします。今、コロナ禍で委縮した心が解き放たれます。中盤に出てくる、私も大好きで何度もカヴァーしてきた「 You’ve Got a Friend 」の聖歌ヴァージョンがあるのですが、その1フレーズで

本来の歌詞は

冬でも春でも夏でも秋でも
名前を呼ぶだけでいい
あなたは友達だから

そこにアレサがハイトーンのフェイクで

私はすぐに行く
あなたは友達だから

と歌い上げるところ、後ろから殴られたみたいに涙がドーっと溢れ号泣ました。きっと実際のアレサも友達の為なら家族のためなら祈ってるよ、応援してるよ、じゃなくてすぐに飛んできてくれる人なのだと思います。私もそうだけど、じゃなきゃ高音ではりあげて最強の強さで約束なんてできない、歌ったりしない。心にない言葉は言い切れたりはしない。

このたった2行の普通の言葉が、熱く深く響き渡ります。だからアレサなんです。光の中で舞う蝶々のようなエンターテイナーではないのです。

12歳で母親となり、その後も夫の暴力から逃げるように離婚し、その最中でヒットメーカーとして駆け抜け、でも母親としてしっかり勤め上げた。だからこそ女性解放運動家としても活動し、人種差別とも闘い、人として女性として、生き抜いた言葉が声が音楽になって私たちを感動させ涙を流させてくれ、抱き締め、勇気と希望、生きる気力をくれるのです。

この「 アメイジング・グレイス(至上の愛) 」は、本当に至上の愛がアレサの声から放たれ、まるで巫女さんの様に神様と人々を繋ぐ眩いオーラと包容力半端ない倍音という手にしっかりと抱き留められ、誰もが堪えて来た涙を流し、それまでPianoを弾いていたジェームス・クリーブランドまでもが涙してピアノを若手に譲り、脱力しながら号泣するほどの感動のシーンでした。

何回見てもここは私、ぎゃん泣きです。アレサの声が母のように抱き締めてくれる。理由なんてない、あの全身で躊躇なく天に届くような真っ直ぐで強い声が私達を人として正しい道へと、光降る場所へと導いてくれる。でもアレサは高音になればなるほど、苦しくなるほど笑いながら歌うのです。微笑みながら力を出し切るって技術的には相当な高等技術です。

一度曲が終わり少々脱力していたアレサだったけれど、ゴスペル隊がリフレインしたのに立ち上がり、更なるボルテージで歌い出したアレサの背中をつかみながら、でも聞いてしまいながら明日があるからもうやめさせたい、もどかしそうなジェームス・クリーブランドとふたりの絆が印象的なシーンでした。マニアックなカット、見つけてみて下さいね!

私もいつの日か、こんな歌を歌えるだろうか。

アレサのようになれるなら、誰かを救う歌になるのなら今の痛みも苦しみもいとわない、この先の試練や逆境も恐れない。そう思える、また全てを懸けてしまう

音楽は本当に素晴らしく、そして魔物です(苦笑)。

デジタルの世界や、結局は現実に引き戻されてしまう架空の世界でもなく、作られた疑似体験では味わえない、体中の細胞までが震えるパワフルな歌声とこの音楽だけではない魂のスーパーセッションは必見です!

そして二日目は、アレサに多大なる影響を与えたというクララ・ウォードが登場、アレサの父C・Lフランクリン(クラレンス・ラヴォーン・フランクリン)!初めて見るDIVAの娘な顔!!!私が見て来た彼女はいつだって堂々として力強かったから、はにかんだり少し力の抜けたCuteな表情こそお宝映像であり、もの凄く嬉しかったし私の父は早くからもうこの世にいないのでとても羨ましかったです。

しかし、あちらの人々はクラップのリズムが本当に良くて(笑)、音も大きくて、アレサもミュージシャンもあれはテンション上がりますよね♪日本人はどうしてもSwingのリズムに乗るのが中々難しかったりするので、恥ずかしがりながらだとクラップの音も小さくなるから、ちょっとジェラシー。でもこれは小さな時から皆ゴスペルと過ごしてきている生粋のリズムですね。

そうです!この映像、ちゃんと見ると凄い凄いスーパースターが、普通の席にいてちょろっチョロっと(笑)隠れキャラみたいに映り込んでるんですよ!!!私は見つけた!家政婦は見た!(爆)。あの大物が来て楽しそうに盛り上がっているなんて、アレサはどんだけ大スターかということです!憧れてなりません。最初の方に客席の奥の方にもしかして?!見つけてみて下さいね♪絶対オ~っ⤴⤴ていいますよ(笑)。

そうして、曲のTempoも人々の感動という高揚も最高潮に到達した頃、憎いですね~アレサのお父様が語るのです。アレサの子供の頃を。小さなころからジェームス・クリーブランド、クララ・ウォード、マヘリア・ジャクソンを学んで影響され、そして誰より並外れて耳が良いから彼らや沢山のアーティストの歌をうたい学びとり、そして彼女はそれらを自分の中で一つにまとめた、それが偉大な歌手アレサ・フランクリンだと。

そして再びアレサがピアノの前に座って歌い出すと、父上が汗を子供の頃のように拭いて、恥ずかしそうなアレサがまた娘になる瞬間、そして瞬時にアレサ・フランクリンに戻る瞬間、その親子の機微をちゃんとカットせずに見せて貰えて本当に嬉しい。

この映画は、一見してアレサのゴスペルLIVEという印象だと思いますが実はかなりのヒューマンドラマ。カラフルな愛と密度の濃いソウル、お客様の声援や拍手の音色、歌詞のどの場所で一喜一憂するかを感じ取れば、あの時代背景も見えてきたり。勿論、ミュージシャンは必聴です!こそっと本当にすごいプレイが続出ですもの。

最後は力の限り、魂の限り、愛の限り、歌いあげる

「 生命は永遠に 」

私は聞いたことがある
ある場所のことを
それははるか彼方の遠くの地

それは魂が住まう
美しき館の話

それはイエス様が建てた館
天におられるイエス様が建てた館

そこで私たちは決して死ぬことはない
そしてそこでは私たちは
決して年を取ることはないという
私たちは決して老いることはない
年を取ることはない

私は知っている
そういう場所があることを知っている ・・・

私たちは老いることはない
そういう場所に私たちは行ける

なんだろう、アレサの弾き語りは説得力のスイッチがピアノについているの?というほどにギアがあがるのです。ヴォーカリストが弾いてみました!というものでも、もともとピアニストが歌い出したというものでもなく、長くシンガーソングライターとして弾き語りを主にやってきた人とも違う、ピアノを弾くタッチと歌のモーションのボルテージがほぼ同じだからだろうか、やけにピアノと歌の一体感があって。立って歌っているときの『 刺さる 』ではなく、その声がハートの繊維にまで染み込んで行く感じ。

そして、曲が終わって終了のMCでもしなくては、という時にこれで最後だから行けアレサ!と言わんばかりに、ジェームズ・クリーブランドが
フェイクをしかけ、マイクを差し出すとアレサは

私はうれしい
信仰を持っていることがとてもうれしい
私の魂は満足している

そう渾身の力を振り絞ってアレサはフェイクをする。

そしてゴスペル隊に「 歌うのを手伝って 」と魂のSing & レスポンス♪客席も歓声を盛って行く。

ハートが動くから歌う、余計なことを話すこともなく心をすべて歌に込める、伝えたいことは全身で声にして伝える、その歌声に動かされてミュージシャンも観客も高揚する、

これが真のシンガーだ。

この曲が終わった後、客席にいた人々の安心した、感動した、希望に満ちた笑顔は本当に素敵☆彡でした。

私もこの笑顔見たさに、全身全霊で歌いパフォーマンスをする。気づいたら抜け殻になるまで心も力も出し尽くしてしまう。でも、『 それでいい、それが本物の歌い手だから。あなたの信じる道を行きなさい。 』とアレサに心を撫でられた気がしました。

ぶっちゃけ何度も見返していますが、見る度に感じる場所、心に刺さる場所、笑える場所、感動する場所が変わるので、心がへとへとになりますが(苦笑)、その後は必ずとってもポジティブで爽快な気持ちになれます。

歌を志す人は勿論ですが、心が委縮したり乾いている人たちも家族の在り方で悩んでいるファミリーも、ひとりぼっちだと孤独に震えている人も、
是非!見て下さい。アレサの無敵な声であなたの人生を最高に肯定してくれる“ 歌のバックハグ “して貰ってくださいね♥

~ ‘Cause you make me feel like A Natural Woman ~


大黒摩季