貧しいユダヤ人家庭に生まれたルース・ギンズバーグは、「すべてに疑問を持て」という亡き母の言葉を胸に努力を重ね、名門ハーバード法科大学院に入学する。1956年当時、500人の生徒のうち女性は9人で、女子トイレすらなかった。家事も育児も分担する夫のマーティの協力のもと首席で卒業するが、女だからというだけで雇ってくれる法律事務所はなかった。それでも弁護士の夢を捨てられないルースに、マーティがある訴訟の記録を見せる。専業主夫になって母親の介護をすることが認められない男性を擁護するその裁判が、“男女平等”を訴える一歩となることを信じ、自ら弁護を買って出るのだが―。