映画化にあたり
悦びを感じたことがなく、それを求めて踏み出す女性のストーリーを描きたかったのです。快感を味わえなくなった女性が、快感を取り戻す旅に出る。自分自身をどうやって見つけるのか?自分をどう解放するのか?今日では“快感”は資本主義的な意味で完全にパフォーマンスと結びついているように思います。最大化、最適化、収益化しなければならないと。この動きに打ち勝つ唯一の方法は、自らを危険にさらす勇気を見いだすことです。自分自身や他者とのより良いつながりを取り戻すため、「成功しない」リスクを取ることだと思います。そして、『あのこと』を撮影した後、私は自分自身にこう言いました。「痛みを描けるなら、悦びも描けるかもしれない」と。