画家・監督シュナーベルのビジョン
シュナーベルは70~80年代にわたり、画家としての揺るぎない名声を享受し、90年代に突然、映画監督になった。ブルックリンから彗星のごとく表舞台に登場し消えていった芸術家の短い人生を描いた『バスキア』(96)で監督デビューを果たし、2作目の『夜になるまえに』(00)で迫害を受けたキューバの詩人レイナルド・アレナスの生涯を、『潜水服は蝶の夢を見る』(07)では、閉じ込め症候群を発症した元ELLE編集長が、左眼の瞬きだけで創作し生きていく姿を描いてきた。シュナーベルは言う。「自分が画家であるということが、映画への取り組み方に大きく関係していると思う。本作のテーマほど、私にとって個人的なものはない。これまでの人生で私がずっと考えてきたものなんだ」
シュナーベルは、フィンセント・ファン・ゴッホの人生最期の日々に、唯一無二の芸術家の姿を見た。本作の制作にはもちろん、現存する手紙、伝記、ゴッホに関する伝説や逸話、その生涯に対するさまざまな見解が用いられているが、制作チームは、伝記映画を作るつもりも、ゴッホに関して散々論じられてきた疑問に答えるような映画を作るつもりもなかった。カリエールは言う。「我々が心を惹かれたのは、ゴッホは晩年、自分が新しい視点で世界を見ていることにしっかりと気付いており、他の画家とは違った方法で絵を描いていたことだ。ゴッホは新しい視点で物事を見ることを人々に伝えようとしていた。我々はその新しい視点を描きたかったんだ」
本作でのゴッホは、ひとつのプリズムだ。そのプリズムを通して、シュナーベル、カリエール、さらには俳優やスタッフが、表現や共感という人間の本能を見つめ直し、驚くべき体験を与えてくれる映画を生み出した。シュナーベルは語る。「我々はみな、人生の終点を迎えるが、芸術は死という制限を超えることができる。映画の中のゴッホにはまだ信奉者がいないが、それでも彼は、自分がやるべきことをやり通す。ゴッホが畑に寝転がって顔に土をかけながら微笑んでいるのを見ると、決して哀れな人間ではなかったことがわかる。彼は、自分が存在すべき場所に存在すべきタイミングで存在していると感じ、生きていることを心から実感していたはずだ」
ガシェ医師を演じるマチュー・アマルリックは、次のように語る。「僕の演じるガシェは、どうして絵を描くのかとゴッホに尋ねる。これが、監督がこの映画で提議している質問だ。芸術とは何か?この世における芸術家の役割は何か?興味深いのは、本作では監督を通してゴッホを見て、またゴッホを通して監督を見ることだ。ゴッホとは何者か?これは、ジュリアン・シュナーベル監督なのか?ってね」