本作はフィルムで撮影されているが、アザナヴィシウス監督にとっての問題は、どのフォーマットで撮るかであったと言う。「ゴダールが『軽蔑』(63)や『気狂いピエロ』(65)で採用した横長のシネマスコープサイズで撮ることもできたけれど、僕は街頭デモのシーンに重要な意味を持たせたかった。そしてそれはテレビ的な映像と深く関わっている。縦横比1:1.33のね。だからその中間をとって1:1.85に決めた。ゴダールのフォーマットとは言えないけど、どのみち相当な差が僕らの間にはあるのだから。」
映像については、監督はゴダール的世界に囚われすぎることなく踏み込もうと考えていたが、照明に関しては、撮影のギョーム・シフマンと相談し、60年代半ばのゴダール作品『軽蔑』(63)、『気狂いピエロ』(65)、『彼女について私が知っている二、三の事柄』(66)からヒントを得て、物語を伝えるためにシチュエーションに見合うように取り入れた。街頭での人ごみシーンと、作られたセット、絵のようなアパート、自然環境での海岸でのシーン、それらに一貫性をあたえることが難しかったが、映画のコラージュ的な側面と、ギョーム・シフマンの才能に随分と助けられたと監督は語っている。
美術のクリスティアン・マルティと考えたセットのデザインも同じで、シチュエーションと物語に合うように、というのが基本方針だ。特定の時代の再現というのは、美術担当者にとっては骨の折れる仕事だ。特に、デモ行進を撮影したパリの街頭のシーンに関しては特殊効果を担当したフィリップ・オブリの功績が大きいと言う。
衣装については、サブリナ・リカルディが膨大な貢献をしている。人物描写に衣装は欠かせない。内面的な変化があれば外見的にも変化がある。たとえば映画の冒頭では、ゴダールはスーツとネクタイでびしっと決めているが、段々彼の服装は崩れていく。アンヌは映画『夜霧の恋人たち』(68)のクロード・ジャドを思わせる、型にはまった外見となっているが、時が経つにつれ、子供っぽさが抜け、くつろいだ女性らしい装いに変化していく。終盤には彼女は赤を着るようになる。赤は冒頭ではベレニスに使うための色であり、これはアンヌが自立していくことを意味するかのようだ。
監督は振り返る。「本作の完成には、ものすごい才能のチームが必要だった。彼らがいて本当にラッキーだ!」