ひと夏の白昼夢、作曲作業する間に「自分も早く宇宙人として覚醒し空虚な中年地球人から脱却したい」と思い至り目を醒ましてみたのだが、案の定、大杉家の人々も吉田大八監督も消え去っていて、いつもの荒涼とした日々が戻ってきた。アァ、宇宙人よ、とっとと私をアブダクションして下さい。

プロフィール

1975年生まれ、宮城県出身。高校卒業後、米バークリー音楽大学へ留学、作曲を学ぶ。帰国後、活動開始。2000年、NYに渡り鬼才プロデューサー、キップ・ハンラハンとアルバムを共同制作。以降、国内外のアーティストと多岐にわたり音楽活動を行う。2007年、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアー18ヶ国30公演にピアニストとして参加。バンド‘COMBOPIANO’や、本人主宰による室内楽アンサンブル‘Piano Quintet’等でも活動。 主な映画音楽担当作品に、冨永昌敬監督の『コンナオトナノオンナノコ』(07)、『ローリング』(15)、染谷将太監督の『シミラーバットディファレント』(13)、『清澄』(15)、熊切和嘉監督の『ディアスポリス -DIRTY YELLOW BOYS-』(16)など。また「劇団、本谷有希子」などの舞台や多くのCMに多数の楽曲を制作・提供している。

公式サイト:http://www.takumawatanabe.com/

Q&A

本作の音楽でこだわった点を教えてください。
映画音楽は淡白に言ってしまえば、演出効果のひとつではありますが、職能で応えるだけの常套に陥らず、本作の複雑な主題に肉薄するような方法を熟慮しました。監督が「(音楽の)振り幅! 振り幅!」とおっしゃるので、様々な音響や質感ジャンルが求められ、シーン都度の実験と共に、私の判断が覆ることも多々ありました(笑)。しかしその過程で得たものは、不思議と自作にも反映できそうな気がしてます。

渡邊さんにとって吉田監督はどんな存在でしたか?
大八監督の音楽の嗜好は大変興味深いもので、音楽の細部まで要望がくることも少なくなかったです。「もっと低音を」とか「女声があると良いのでは?」とか。音のイメージを言葉で伝えるのは難しいと思うのですが、大八監督はそういう具体を言ってくださるので、こちらも「なるほど、やってみましょう」ということになる。それは共同作業の醍醐味でもあり、多少、厄介でもありました(笑)。

渡邊さんが映画づくりの喜びを感じる瞬間は?
少々矛盾してるようですが、ある場面に付けた音楽が奏功したと思っても、映画全体を通してみるとうまくいってなかったり、監督の意図と異なったり、そういう不測の事態に陥ったときに高揚してくるのです(笑)。監督の示唆がヒントになることもありますし、録音部やスタッフの方々とのやりとりで解決する場合もあります。一人悶々と作曲をしてる状況ではあり得ない活気があります(笑)。

音楽のお仕事はどのような経緯ではじめられたのですか?
喜びですか義父が音楽家で、家にピアノがあったので、それを弾いてカセットに録音したりしてました。特に音楽家になろうと考えていた訳ではなかったのですが、高校卒業に際して、進路指導のようなものが嫌で嫌で、担任の教師と両親に音楽家になるので留学する、と断言してしまった(笑)。そういう訳で米国のバークリー音楽大学に入学しました。

劇伴制作のお仕事はいかがですか?
今前述のことと重なりますが、映画音楽はやはり共同作業であるところが大変面白いですし、独断ではつくらない音楽が自分から引きずり出される稀有な機会にもなります。

完成した映画はご覧になって、いかが思われましたか?
劇伴制作に携わった者として、いささか客観視できない面もありますが、三島由紀夫の原作「美しい星」と、吉田大八監督の本作の差異を観るだけでも、社会や時代の変遷にしたがって変容する文学や映画の面白さを堪能できると思いますし、普段、見慣れた日常の風景が、幽玄な世界として立ち上がってくるシーンの数々(殊、早朝の霞ヶ関、夜の新宿、金沢の海岸、等々!)にも大変興奮しました。