Column

誰がいちばん得をして、
誰がいちばん損をしたか?

上杉隼人
(『最後のダ・ヴィンチの真実 510億円の「傑作」に群がった欲望』翻訳者)

2017年11月15日、クリスティーズの競売において、1枚の絵が4億5000万ドル、日本円にして約510億円で落札された。美術品史上最高額の値がつけられたこの絵には、左手にオーブを持ち、祈りの右手を掲げる、青いローブをまとった救世主イエス・キリストの姿が描かれている。

レオナルド・ダ・ヴィンチ作『サルバトール・ムンディ』。

縦66センチ×横45センチのクルミの木のパネルに描かれたこの小さな絵は、本当にダ・ヴィンチの作品なのか?
『サルバトール・ムンディ』は1501~1517年頃に制作されたと言われる。同時代に、ダ・ヴィンチの弟子たちによる複製画も、あるいは別の場所で同じ救世主キリストの絵も数多く制作されている。フランス王アンリ4世の娘ヘンリエッタ・マリア(1609~1669)が、イングランド王チャールズ1世(1600~1649)に嫁ぐにあたり、『サルバトール・ムンディ』を持参したという説もある。ヘンリエッタ・マリアがチャールズ1世と結婚後は、チャールズ1世が所持し、チャールズ1世処刑後はイギリス王家が保持したかもしれないし、ヨーロッパに渡ったかもしれない。それ以前に、ヴェンツェスラウス・ホラー(1607~1677)がヘンリエッタ・マリアに『サルバトール・ムンディ』を見せられて、複製画を制作していたとも言われる……。

謎はつづく。1763年から1900年までの137年、どこかに姿を消していたようだが、20世紀になって1958年の競売でアメリカ人が買い上げてアメリカに渡り、ニューオーリンズの小さなギャラリーで競売にかけられた……。

はっきり言えることは何ひとつない。だが、それが今述べた『サルバトール・ムンディ』かどうかは定かでないものの、その後、以下のことをわれわれは現実世界で目にしている。

2005年に、ロバート・サイモンともうひとりの美術商がニューオーリンズのセントチャールズ・ギャラリーで同じ救世主キリストをテーマにした1枚の絵を1175ドル(約13万円)で購入した。

ダイアン・モデスティーニによる大幅な修正を経たあと、2008年5月にロンドン、ナショナル・ギャラリーにおいて、マーティン・ケンプを含めた名高いダ・ヴィンチ専門家の前に披露され、2011年11月にロンドンのナショナル・ギャラリーのダ・ヴィンチ展で一般公開された。

2013年、イヴ・ブーヴィエの仲介により、ドミトリー・リボロフレフが購入し、リボロフレフが手放したあと、2017年11月にクリスティーズの競売において、約510億円で落札された。

くわしくはベン・ルイス著、上杉隼人訳『最後のダ・ヴィンチの真実 510億円の「傑作」に群がった欲望』(集英社インターナショナル)をご覧いただきたいが、同書にインスパイアされたと思われる『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』は、ミステリー映画を思わせる極上のドキュメンタリーに仕上がっている。

問題の絵を購入したロバート・サイモンも、絵を修復したダイアン・モデスティーニも、ロンドンのナショナル・ギャラリーの学芸員ルーク・サイソンも、ダ・ヴィンチ研究家マーティン・ケンプも、サイモンと一緒に絵を販売した美術商ワーレン・アデルソンも、彼らから2013年に購入したドミトリー・リボロフレフも、仲介したイヴ・ブーヴィエも、約510億円の破格の値段で落札された『サルバトール・ムンディ』に関わった重要人物のほとんどが、生々しいコメントと共に登場するのだ(著者ベン・ルイスも登場する)。それだけでない。ロバート・サイモンたちが買い上げる前にこの絵があったと思われるニューオーリンズの民家を訪れて関係者に話を聞き、2017年11月のクリスティーズのオークションで約510億の破格の値段で落札したと思われる人物まで調べ上げている。

一体誰が『サルバトール・ムンディ』をここまで高額な絵にしたのか? この取引で誰がいちばん得して、誰がいちばん損したか? そして2017年の落札以来、姿を現していない『サルバトール・ムンディ』は一体どこにあるのか?
『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』をご覧になって、ぜひその目でお確かめいただきたい。驚愕の事実の数々が皆さんを待ち受けている。