宮澤章友

宮澤章友

元「楯の会」一期生。早稲田大学卒業。のちに出版社勤務。三島由紀夫が「楯の会の母体をなした」と記した論争ジャーナル組の一人で、かつては“幻”とされていた『血判状』に1968年2月25日に署名している。三島が「平岡公威」と本名で書いた決意を目の当たりにし、「宮澤徹甫」と自らも本名を残す。この時、興奮のあまりか、深く切りすぎて貧血を起こした者もいたという。これまではすべての取材を断ってきたが、「50年が経ち、自分が語ることで後世に当時の若者の在り様の一端が正しく伝わるなら」と今回が初めてのインタビューとなる。