膨大な〝予習〟と〝人間力〟を求められた監督

監督は誰に依頼しようかと平野と話していた刀根の頭に、旧知の仲の豊島圭介がひらめく。「三島由紀夫を理解し、しかし入り込みすぎず、客観的かつ現代的な切り口で捉えるという絶妙なバランス感覚は、豊島さんしかいないと思いました」と刀根は説明する。

企画の最初の段階から、当事者や関係者、識者へのインタビューを織り交ぜて構成することを考えていた刀根には、監督を務めるにはかなりの勉強が必要だとわかっていた。「豊島さんなら、ものすごく勉強してくれるという確信がありました。また、非常に人間力に優れた方なので、相手から素晴らしいものを引き出せるはずだと。さらに、女性も男性も美しくチャーミングに撮れる監督なので、この素材のありのままのよさを出してくれると期待していました」

世界のあちこちで、政治的な嵐が吹き荒れていた1968~69年のことを、「真正面からきちんと取り組んだことはなかった」と語る豊島は、「いい機会だと張り切る反面、三島由紀夫とは、とんでもない仕事を引き受けてしまったとも思いました」と笑う。「取材相手のことを考えると恐怖に震えました(笑)が、教えていただこうというスタンスに切り替えてからは道が見えてきましたね」