今も変わらぬ敬愛を三島に捧げる元楯の会一期生たち

楯の会に関しては、報道局の人脈をフルに活用し、竹内と大澤が交渉係となり、最初は一水会を設立した鈴木邦男氏に会いに行った。すると、鈴木氏は「むしろもっと前からあの映像を世の中に出すべきだと思っていた」と応援したという。そこから、一水会にいる元楯の会の方を紹介してもらったり、楯の会の後進として残っている三島森田事務所に連絡したりしたが、「皆さん、とにかく最初はお話をしたがらなくて」と大澤が振り返る。「憲法改正と自決ということで切り取られることを、すごく嫌がっていらっしゃいました。そういう作品には絶対にしないとご説明させていただき、監督と事前取材し、あらためて本番を撮らせていただくという形にしました」

3人とも一期生だが、現場にいたのは、原昭弘氏だ。「全共闘の支配する場所に先生が行くということで先生の身に何かあってはいけない」と900番教室に潜んでいたという。宮澤章友氏は、三島と血判状を作ったメンバーの一人で、インタビューに答えるのは、「これが最初で最後です」と宣言されたという。「皆さん、そういう想いでした。自分が語ることで、亡き三島先生のイメージを崩すことを恐れてらっしゃいましたね。ただ、『そろそろ自分もいつ死ぬかわからないから残そうと思った』とおっしゃっていました。50年という節目と自分の年齢から、初めて話してくださったようです」と大澤が解説する。取材させて頂いた元楯の会のメンバーは1年後の自決について、「なぜ自分には教えてくれなかったのかと茫然とされたそうなのですが、最後に三島は全員と別々に会っていたそうなんですね。一人一人に向けて、異なることを語っていたと聞いて感動しました」