『世界で一番美しい少年』は根本的には、対象化とそれが個人に与えうる影響についての映画です。美は賞賛され、多くの扉を開くことができるが、誰かの容姿について世界が強迫観念を持てば、その人物は内側から引き裂かれることもある。アメリカ先住民の逸話にあるように、「写真に撮られるたびに、人間の魂は少しずつ奪われる」ということなのです。
『世界で一番美しい少年』はとても若くしてスターとなった少年の魅惑的な人生、そして、その後の人生にどんな影響を与えたかについて、語られることのなかった物語なのです。15歳のビョルン・アンドレセンは『ベニスに死す』の役柄で男性も女性も魅了し、永遠のアイコンとなりました。
「彼は僕を皿に載った肉のような目で見る」という、ルキノ・ヴィスコンティ監督についてのビョルン自身の言葉が物語るように、物として見られると人にどのような影響を与えるのか。自意識はどうなるのか・・・。若くして人々の目に晒され、到底忘れることのできない印象を残し、人々の期待に合わせてやっていける子役スターはほぼいません。
映画の公開から50年が過ぎた今日でも、ビョルン・アンドレセンは15歳の自分の影の中で生きているのです。長年、彼は注目を浴びながら、エンターテインメントの世界でモデルとして、ミュージシャンとしてキャリアを築き続けました。ビョルンは彼を壊した世界に引かれ続け、彼自身の中には、認められたいと思う何かがあるのかもしれません。
製作として、私がこの物語に惚れ込んだ理由はいくつかありました。ビョルンの人生の物語は魅惑的で、彼には多くの深みがあり、世界的な注目を浴びた瞬間を含む豊かな人生があります。彼の物語は私たちを1970年代のイタリアへ、日本の広告業界へ、昔のボヘミアン的なパリへといざなってくれます。幸運にもすべてが映像で記録されおり、私たちはそうした素材を手にすることができました。現在のビョルンには本作で逢うことが出来て、そしてアーカイブ映像でも彼を見つけることができるのです。
自尊心を取り戻したいというビョルンの意欲がこの映画の中心となっています。これは発見の過程を描いたものであり、失われたものを取り戻すために彼は過去へ戻っていくのです。この美と対象化についての物語が男性についてのものである点が、私にはとても興味深かったのです。女性にまつわることが少なくないこの主題を探究するため、異なるジェンダーの視点から見るのは正しいことなのではと感じています。