プロダクション・ノート
(松本准平監督インタビューより)
本作誕生の原点
本作誕生の原点は、松本准平監督が福島智さんと出会った時の感動だった。監督は、前作『パーフェクト・レボリューション』(17)の上映会が東京大学で行われたときの対談相手として福島さんと出会う。福島さんは、視覚も聴覚も完全に失われた全盲ろう者であり、バリアフリー分野の研究に従事している東京大学の教授だった。監督は、対談における福島さんの深い洞察力と鋭い感性に衝撃を受け、福島智という人間に興味を抱いていく。そして何冊かの著書を通して彼の生き方や思索に深く感銘を受けながら、母・令子さんの著書「さとしわかるか」(朝日新聞出版 ※1)を読んだとき、「映画になるかもしれない」と感じたという。そこには、大切な視力と聴力を奪われていく智さんの姿と我が子を支える令子さんの体験が描かれていた。そして監督の心には、「障害というものの本質は何なのか」ということに、もう一度真剣に取り組んでみたいという気持が湧き上がってくる。それは、すべての人が生きる上でそれぞれの“障害”と向き合い闘っているのだ、という認識と響き合うテーマだった。
こうして対談時の感動をメールで伝えた監督が、福島さんと再度会って映画化の許諾を得たのは、2018年のことだった。
※1 「さとしわかるか」(朝日新聞社版) 書籍は現在品切れ、電子書籍(amazonkindle)で購入可能
新生、俳優・小雪。真実味に満ちた“母”を体現。
我が子への不屈の愛で物語を貫く、智の母・令子。この役を演じたいと熱望したのは、俳優・小雪だった。現在彼女は、家族との日常を大切にしながら時間を作り、俳優業をはじめとする仕事に誠実に向き合っている。その日常は、三人のお子さんの子育てをし、畑で野菜を作って料理をするといった、地に足の着いた丁寧な暮らしだ。そんな彼女の飾らない素顔は、出演する「小雪と発酵おばあちゃん」(22 Eテレ)からも垣間見える。
そして小雪に会った監督は、ひとつの確信を抱いた。「僕が勝手に抱いていた“モデルさん”的なイメージとは全然違う方だと感じました。お話をしていると、“お母さん”としての側面を強く感じ、小雪さんだったら令子役を委ねられ、映画がうまくいくと確信しました」。
事実、日常生活に裏付けされた真実味のある彼女の演技は、撮影中の監督を深く感動させた。それは “夫”や“父親”でもある監督自身の認識を新たにさせるような心に迫る演技だった。「“母”あるいは“妻”の在りようの本質的なところを、カメラの前で小雪さんが純粋に体現しているように感じ、ワンカットごとにグッとくるものがありました。令子という人間について、小雪さんにひとつひとつ見せてもらっているような気さえしました」。
監督が演出で常に大切にしていることは、「その人の嘘のないところが映るようにしたい」ということ。本作においても、役に入ってシーンに臨む、その時の小雪の空気感を壊さないで撮りきりたい、彼女の感情をそのまま捉えたいという気持ちだった。その演出意図と小雪自身の希望が重なって、ほとんどテストなしで本番に臨む形で撮影は進められていく。随所で令子は涙を見せるが、「こういう泣くところは、1回しかできないかもしれないから」という小雪の思いもあり、特にそれらのシーンは一発勝負の撮影となった。監督はその演技を絶賛する。「嘘のない涙で、本当に泣いてらっしゃるから、純粋に心に響くものがありました。映画の作り手として感謝したいと思う演技でした」。
キャスティング:智役・田中偉登の圧倒的な魅力
子供時代に光を失いながらも、明るく楽天的で可能性を諦めない大胆さを持ち続ける智。苦悩や思索の力といった内面の表現を求められる上に、盲目の演技も要求される難しい役だ。そんな智を見事に体現したのは、数々の作品で存在感を示す若手俳優・田中偉登(『朝が来る』(20))。彼は智役のオーディションの場で、「目の見えない人の日常を演じてください」という要望に、突然、裸になってシャワーを浴びる芝居をして監督を驚かせたという。さらには脚本上の母・令子とのシーンを演じた際には、その時点ですでに役に入っており、涙を流して芝居をした。即決に近かったと振り返る監督は、その理由を、「まず、芝居がすごく良かった。そして、智にないといけない度胸とか抗う力、真っすぐさのようなものを含めて、彼の中には何かがあるように感じたんです」。
そして二人三脚で人生を歩む令子と智を支え、家庭を守る、令子の夫で智の父親・正美役を演じたのは、吉沢悠(『ライフ・オン・ザ・ロングボード 2nd Wave』(19))。時には現実的な厳しい意見も言いながら智を見守り、智に付きっきりになりがちな令子の不在時の家庭生活を担う正美を人間味豊かに演じた。「お会いした時に演技に対して真摯な俳優さんだということが伝わってきて、正美役をお任せしようと思いました」と監督は信頼を語る。
赤ん坊の智の目の治療にあたる、横柄なベテラン医師・長尾役を飄々と演じるのは、松本監督の前作『パーフェクト・レボリューション』(17)で主役を務めたリリー・フランキー。令子や智に温かく接する若い飯田医師に、朝倉あき。彼女の主演作『四月の永い夢』(18)を観て心惹かれたという監督は、「なにか奥に持っているものがある方だなあと感じ、もっと撮りたいという気持ちが沸いてきた俳優さんでした」。