ホセ・カレーラス

ホセ・カレーラス

José Carreras

1946年12月5日、スペイン、バルセロナ生まれ。幼少期から音楽的才能を認められ、8歳でスペイン国立放送に出演。10代でスペインの名門リセウ音楽院で学び、リセウ劇場にて『ノルマ』のフラヴィオ役でデビュー。1968年ソプラノ歌手モンセラート・カバリュがドニゼッティの『ルクレツィア・ボルジア』の上演に招き、大成功を収め、1971年ヴェルディ国際声楽コンクールでの優勝とともにその名を広く知られるようになり、同年25歳の若さでカバリュとともに『マリア・ストゥアルダ』に出演しロンドン・デビューを飾った。1974年にはウィーン国立歌劇場『リゴレット』のマントヴァ公役、ロイヤル・オペラハウス『椿姫』のアルフレード役、またメトロポリタン歌劇場(MET)『トスカ』のカヴァラドッシ役で、それぞれで初舞台を踏み、翌年ミラノ・スカラ座『仮面舞踏会』のリッカルド役でデビューを果たした。28歳までに24曲のオペラで主役を歌ったのである。1987年、40歳の時、順調にキャリアを積んでいた頃、急性白血病の診断を受け、闘病の日々を送る。1988年、罹患した白血病の研究と、骨髄提供者の登録支援事業に財政的支援を行う慈善活動のため、「ホセ・カレーラス国際白血病財団」を設立した。1990年、カレーラスの復帰とサッカーの祭典を祝うため “三大テノール”として活躍を始める。1992年のバルセロナ・オリンピックでは音楽監督を務め、イギリスの歌手サラ・ブライトマンとのデュエットで同オリンピックのテーマソング“AMIGOS PARA SIEMPRE”を閉会式で見事に歌唱、観衆からの拍手の嵐に包まれた。
独特の情熱的で懸命な歌唱が最大の武器。もともとの声質は軽やかなリリコであったが、やがて重く劇的な声質を必要とするスピント系の役にも進出し高い評価を得ている。