“「生きる勇気をもらった」という言葉をちょっと照れながら発してみたくなった”

宇野維正(映画ジャーナリスト)

「果てしない自分探しや無制限のポリティカルコレクトネスが行き着く先は?」という、このネット時代において可燃性の極めて高いテーマが、毒や露悪趣味もたっぷりに描かれているのに、観終わった後のこの清々しさは一体なんなんだ?
『わたしは最悪。』の主人公ユリアは、ノルウェー・オスロの街を眺めながら、歩きながら、時に全力疾走しながら、人生や恋愛について悩み続ける。そして、そこで彼女が出す答えは大体間違ってる。でも、別に何度間違ったっていいじゃないか。誰かから「最悪」と思われたとしてもいいじゃないか。
本作を観ながら自分が思い浮かべたのは、近年の坂元裕二脚本作品だった。まるで10年後の『花束みたいな恋をした』。あるいは、遠い海の向こうで必死で生きているもう一人の「大豆田とわ子」。
「生きる勇気をもらった」みたいな手垢のついた言葉を、ちょっと照れながら発してみたくなる。ヨアキム・トリアー監督の『わたしは最悪。』はそんな映画だ。