[ 順不同・敬称略 ] 秋山黄色[ソロアーティスト] この作品が世に産み落とされた時、音になるかギリギリのラインで細くか細く悲鳴をあげた幾つかの人間がいました。それは、「作曲家」でも「編曲家」でもなく、ましてや「歌手」や「シンガー・ソング・ライター」などでは更に、全く無い音楽以前の「何か」です。蠢き。 カセットに録音を吹き込む景色はどこかに滲み、マルチトラックレコーダーも鳴りを潜めました。脳みその電撃は小さなラップトップに映り込み、もしくは手に握れるサイズのアホみたいな長方形に居場所を移します。 そうです。 「何か」達は、機械と機会、システムとチャンスの不平等さによって、辛うじて形を保っていました。 「あれ」になれる人は一握り。「これ」を作れる人間は、すごい。音楽は、平等に楽しくなりました。 「ただ音を楽しみたい存在って、なに?居ちゃいけないか、ギリギリの僕らを、これ以上、シャープな線で描かないで…」 これが悲鳴の内訳です。ぐにゃぐにゃの存在と感情がとうとう可視化されます。 何の為に。誰と?音がシンプルになるまで、人は、「それ」はただ青く青く青く… 一つの世界のありふれたあるあるを体感しましょう。行き場のない追いやられた音楽は、実は海に行くんですよ。 それはまさに、「ノイズ」と呼ばれていました。 むつき先生、この度は実写映画化おめでとうございます。先生には、僕の「クラッカー・シャドー」という楽曲の MV で大変お世話になりました。当時バジーノイズ連載中でしたね。 うれしい! Opus Inn[音楽ユニット] 原作の作者のむつき潤さんが、漫画『バジーノイズ』を作り始める頃から我々のライヴに来ていただいたり、楽曲制作の取材をしていただいて、それが今回映画になって感慨深い。 DTM(Desk Top Music)を題材にした映画を観たのは初めてです。 んoon[バンド] 自分の為だけに音楽をやることが、どんなに幸せで、そしてどんなに辛いことか。 自分以外とぶつかりあいながら、音楽をやることが、どんなに辛くて、そして途方もなく幸せなことか。 映画の中で生き生きと動いている清澄たちを見て、改めてそのことに気づきました。 原作の連載当時からほんの数年の間に、現実世界はコロナや各種SNSの盛衰など、作中の空気感とはだいぶ様子が変わったけれど、清澄たちは今も変わらず(苦しみながらでも)音楽をつくっているのではないかと思っています。 くじら[ボカロP・歌手] 上質な映像、色、そして音楽!Yaffleさんと坂本秀一さんの細やかな音使いに終始心を掴まれっぱなしでした。自然の音のテクスチャがどれも良過ぎて、何使ってるんだろうと気になってしょうがなかったです。初見を映画館の設備で見れる皆様は素敵だと思います。DTM(パソコンで音楽を作ること)をやっている人、それでご飯を食べでいこうとしている人なら共感する細やかなシーンが満載で、うわ、わかる...と思いながら見ていました。 悔しさや無力感でいっぱいの、でもエネルギーや発想で溢れていた時期の事を思い出しました。その時期に「早く行くなら1人で、遠くに行くなら皆で。とにかく1人でいこうとするあなたは、皆で行きなさい」と人生の師のような友達に何度も言われていたので、見てて本当にドキッとしました。 序盤の時点で素敵な機材に素敵な部屋、そしてこの曲作れてたらすぐ売れちゃうな~いいな~と思いました。絶対にこのお洒落な照明の部屋を組める人が使いそうなDAW(パソコンで曲を作るソフトです)を使っているのも刺さりました あと、、アーティストが売れない時期に上から目線で言われたことやされたことは一生忘れず根に持って活動していきますからね、、気をつけてくださいね、、 ざきのすけ。[アーティスト] 人間模様と音楽のリンクが創り出していく大きな感情の波が、視覚と聴覚の両方から押し寄せてくる圧倒的な体験でした。 音楽好き、映画好きのどちらの心にも突き刺さって抜けなくなる素敵な作品だと思います。 柿原朋哉[小説家] 超現代的な世界観の裏に潜む、骨太なテーマ。 噛めば噛むほど味わい深い。 津田健次郎[声優] 閉じた部屋で奏でられた音楽は、共振、ガラスを壊し飛び出していく。 その痛み、歓び。透き通った音の世界が見る者も綺麗にしていく。 蛙亭イワクラ[芸人] みんな生きるの下手過ぎ。 人と関わらずに一人で上手く生きていこうとしている人と、心がこの人と関わりたいと叫んでしまった人が出逢って、騒々しくて荒々しくて苦しくて。 そんな耳も心も青く澄んだ気持ちになれる作品でした。 一人は楽で、自分の存在を消す事が一番簡単で。 人と関わるのって面倒くさいけど、 面倒くさいことから生まれる邪魔くさい感情とか、今まで一人では見つけられなかった物を見つけられた時、 自分は生きてるんだと全身で感じて笑う事が出来るんだと思いました。 自分も改めて、面倒くさいけどたくさんの人と関わりたいと思えました。 Back
[ 順不同・敬称略 ]
秋山黄色[ソロアーティスト]
この作品が世に産み落とされた時、音になるかギリギリのラインで細くか細く悲鳴をあげた幾つかの人間がいました。
それは、「作曲家」でも「編曲家」でもなく、
ましてや「歌手」や「シンガー・ソング・ライター」などでは更に、全く無い音楽以前の「何か」です。蠢き。
カセットに録音を吹き込む景色はどこかに滲み、マルチトラックレコーダーも鳴りを潜めました。
脳みその電撃は小さなラップトップに映り込み、もしくは手に握れるサイズのアホみたいな長方形に居場所を移します。
そうです。
「何か」達は、機械と機会、システムとチャンスの不平等さによって、辛うじて形を保っていました。
「あれ」になれる人は一握り。「これ」を作れる人間は、すごい。音楽は、平等に楽しくなりました。
「ただ音を楽しみたい存在って、なに?
居ちゃいけないか、ギリギリの僕らを、これ以上、シャープな線で描かないで…」
これが悲鳴の内訳です。ぐにゃぐにゃの存在と感情がとうとう可視化されます。
何の為に。誰と?音がシンプルになるまで、人は、「それ」はただ青く青く青く…
一つの世界のありふれたあるあるを体感しましょう。
行き場のない追いやられた音楽は、実は海に行くんですよ。
それはまさに、「ノイズ」と呼ばれていました。
むつき先生、この度は実写映画化おめでとうございます。
先生には、僕の「クラッカー・シャドー」という楽曲の MV で大変お世話になりました。当時バジーノイズ連載中でしたね。
うれしい!
Opus Inn[音楽ユニット]
原作の作者のむつき潤さんが、漫画『バジーノイズ』を作り始める頃から
我々のライヴに来ていただいたり、楽曲制作の取材をしていただいて、それが今回映画になって感慨深い。
DTM(Desk Top Music)を題材にした映画を観たのは初めてです。
んoon[バンド]
自分の為だけに音楽をやることが、どんなに幸せで、そしてどんなに辛いことか。
自分以外とぶつかりあいながら、音楽をやることが、どんなに辛くて、そして途方もなく幸せなことか。
映画の中で生き生きと動いている清澄たちを見て、改めてそのことに気づきました。
原作の連載当時からほんの数年の間に、
現実世界はコロナや各種SNSの盛衰など、作中の空気感とはだいぶ様子が変わったけれど、
清澄たちは今も変わらず(苦しみながらでも)音楽をつくっているのではないかと思っています。
くじら[ボカロP・歌手]
上質な映像、色、そして音楽!Yaffleさんと坂本秀一さんの細やかな音使いに終始心を掴まれっぱなしでした。
自然の音のテクスチャがどれも良過ぎて、何使ってるんだろうと気になってしょうがなかったです。
初見を映画館の設備で見れる皆様は素敵だと思います。
DTM(パソコンで音楽を作ること)をやっている人、
それでご飯を食べでいこうとしている人なら共感する細やかなシーンが満載で、うわ、わかる...と思いながら見ていました。
悔しさや無力感でいっぱいの、でもエネルギーや発想で溢れていた時期の事を思い出しました。
その時期に「早く行くなら1人で、遠くに行くなら皆で。とにかく1人でいこうとするあなたは、皆で行きなさい」と
人生の師のような友達に何度も言われていたので、見てて本当にドキッとしました。
序盤の時点で素敵な機材に素敵な部屋、そしてこの曲作れてたらすぐ売れちゃうな~いいな~と思いました。
絶対にこのお洒落な照明の部屋を組める人が使いそうなDAW(パソコンで曲を作るソフトです)を使っているのも刺さりました
あと、、アーティストが売れない時期に上から目線で言われたことやされたことは
一生忘れず根に持って活動していきますからね、、気をつけてくださいね、、
ざきのすけ。[アーティスト]
人間模様と音楽のリンクが創り出していく大きな感情の波が、視覚と聴覚の両方から押し寄せてくる圧倒的な体験でした。
音楽好き、映画好きのどちらの心にも突き刺さって抜けなくなる素敵な作品だと思います。
柿原朋哉[小説家]
超現代的な世界観の裏に潜む、骨太なテーマ。
噛めば噛むほど味わい深い。
津田健次郎[声優]
閉じた部屋で奏でられた音楽は、共振、ガラスを壊し飛び出していく。
その痛み、歓び。透き通った音の世界が見る者も綺麗にしていく。
蛙亭イワクラ[芸人]
みんな生きるの下手過ぎ。
人と関わらずに一人で上手く生きていこうとしている人と、
心がこの人と関わりたいと叫んでしまった人が出逢って、騒々しくて荒々しくて苦しくて。
そんな耳も心も青く澄んだ気持ちになれる作品でした。
一人は楽で、自分の存在を消す事が一番簡単で。
人と関わるのって面倒くさいけど、
面倒くさいことから生まれる邪魔くさい感情とか、今まで一人では見つけられなかった物を見つけられた時、
自分は生きてるんだと全身で感じて笑う事が出来るんだと思いました。
自分も改めて、面倒くさいけどたくさんの人と関わりたいと思えました。