1940年6月30日、バスク自治州ビスカヤ県カランサ生まれ。
マドリード大学で法学・政治学・経済学を学んだ。1960年に国立映画研究所(国立映画学校の前身)に入学、映画の演出を学び、映画批評雑誌「ヌエストロ・シネ」等に映画批評を寄稿する。1961年の『テラスにて』(未)以後、数本の習作短編映画を監督。並行して、『次の秋』(アンチョン・エセイナ、67、木)の脚本執筆参加と助監督の兼任や、『あいまいな八月の夢』(ミゲル・ピカソ、68、未)の脚本執筆に参加する。オムニバス映画『挑戦』(69、DVD発売のみ)の第三話の監督を担当し、商業映画監督としてデビューする。
その後長編第1作『ミツバチのささやき』(73)を発表、国内外で高い評価を受けた。しかし長編第2作「エル・スール」(83)を発するまで、約10年間映画作りから遠ざかっていた。同作は製作トラブルによって当初予定されていた後半部分の撮影が実現しなかったが、現行版は充分に完成された傑作との評価を確立している。『エル・スール』に次いで、またしてもおよそ10年の空白期間を経た後に、画家アントニオ・ロぺス=ガルシアの制作風景に迫った半記録映画『マルメロの陽光』(92) を発表。同作は第45回カンヌ国際映画祭審査員賞・国際映画批評家連盟賞を受賞した。長編作品は『マルメロの陽光』以来、本作『瞳をとじて』公開までに31年もの時を経て第4作目となる。
『マルメロの陽光』以後、オムニバス映画『10ミニッツ・オールダー』(02)内の一篇『ライフライン』、『ラ・モルト・ルージュ』(06)、 オムニバス映画『3.11 A SENSE OF HOME FILMS』(12) 中の『アナ三分間』、オムニバス映画『ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区』(12)の一遍『割れたガラス』を発表。いずれも短編映画である。2006年にはバルセロナ現代文化センターやパリのポンピドゥー・センターで、イラン人映画作家アッバス・キアロスタミとの共同インスタレーション(ヴィデオ往復書備)を発表した。
エリセは溝口健二監督のスペインにおいて初となる長文論考を執筆・出版するほどに溝口を敬愛しており2006年には溝口没後50年のシンポジウムに参加した。また2011年には東日本大震災を受け制作された『3.11 A SENSE OF HOME FILMS』にも参加し一篇を担当する。これまでに5度の来日実績があるほどに日本とは特に深い関係性を築いている。