世界的な名声を手にしたマエストロの一日は、驚くほど“地道”な作業で幕を開ける。ただ黙々と、ルーティーンのストレッチをこなすのだ。
幼かったモリコーネを音楽へ導いたのは、トランペット奏者の父親だった。父が決めた音楽院に入学するが、病に伏した父の代わりにナイトクラブでの演奏で家計を助けることになるなど、苦労の多い青年時代を送る。当時のモリコーネの心の支えは、学んだばかりの“作曲”だった。この時に教えを請うた偉大な作曲家ゴッフレード・ペトラッシが、モリコーネの生涯の心の師となる。
卒業後、恋人のマリアと結婚したモリコーネは、生活のためにRCAレコードと契約し数々の編曲を手掛ける。クラシックの高度な作曲技法と、当時の最先端だったノイズを多用した実験音楽を取り入れることによって全く新しいアレンジを生み出し、「編曲を発明した」とまで絶賛されたモリコーネは、ポール・アンカやチェット・ベイカーなど、人気アーティストからも指名されるようになる。
幼かったモリコーネを音楽へ導いたのは、トランペット奏者の父親だった。父が決めた音楽院に入学するが、病に伏した父の代わりにナイトクラブでの演奏で家計を助けることになるなど、苦労の多い青年時代を送る。当時のモリコーネの心の支えは、学んだばかりの“作曲”だった。この時に教えを請うた偉大な作曲家ゴッフレード・ペトラッシが、モリコーネの生涯の心の師となる。
卒業後、恋人のマリアと結婚したモリコーネは、生活のためにRCAレコードと契約し数々の編曲を手掛ける。クラシックの高度な作曲技法と、当時の最先端だったノイズを多用した実験音楽を取り入れることによって全く新しいアレンジを生み出し、「編曲を発明した」とまで絶賛されたモリコーネは、ポール・アンカやチェット・ベイカーなど、人気アーティストからも指名されるようになる。
モリコーネの実力は評判を呼び、やがて映画音楽の仕事が舞い込むようになる。その中の一人、セルジオ・レオーネ監督はモリコーネの小学校の同級生だったこともあり、たちまち二人は心を許し合う。『荒野の用心棒』(64)の印象深い口笛の曲が、二人のタッグの始まりを告げる狼煙となった。
しかし、モリコーネには、映画音楽に携わることに葛藤があった。師のペトラッシはアカデミックな音楽家にとって、商業音楽を書くことは道徳的に非難されると考えていたのだ。「自分は裏切り者だ」と苦悩したモリコーネが、どうやって誇りを取り戻したのか、カメラは彼の心の内側に迫る。
やがて葛藤を乗り越えたモリコーネは、「製作者や監督にとって“成功の保証”となった」とジュゼッペ・トルナトーレ監督が証言する。あの異才にして巨匠のスタンリー・キューブリック監督までがモリコーネにオファーしたが、おそらく嫉妬にかられたレオーネが勝手に断ったという仰天の事実が明かされる。どうしてモリコーネは、これほどまでに引っ張りだこになったのか? モリコーネと同時代の作曲家ジョン・ウィリアムズや、その後を追うハンス・ジマーが、音楽的な分析を披露する。
しかし、モリコーネには、映画音楽に携わることに葛藤があった。師のペトラッシはアカデミックな音楽家にとって、商業音楽を書くことは道徳的に非難されると考えていたのだ。「自分は裏切り者だ」と苦悩したモリコーネが、どうやって誇りを取り戻したのか、カメラは彼の心の内側に迫る。
やがて葛藤を乗り越えたモリコーネは、「製作者や監督にとって“成功の保証”となった」とジュゼッペ・トルナトーレ監督が証言する。あの異才にして巨匠のスタンリー・キューブリック監督までがモリコーネにオファーしたが、おそらく嫉妬にかられたレオーネが勝手に断ったという仰天の事実が明かされる。どうしてモリコーネは、これほどまでに引っ張りだこになったのか? モリコーネと同時代の作曲家ジョン・ウィリアムズや、その後を追うハンス・ジマーが、音楽的な分析を披露する。
盟友レオーネとの最後の作品となった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)は高く評価され、「商業音楽に魂を売った」とモリコーネを無視していたかつての学友が、彼に謝罪の手紙を書くなど、音楽界の“事件”となった。モリコーネ自身の中でも一区切りがつき、彼は映画音楽を離れようと決心する。だが、そんな彼を引き留めたのも、やはり映画だった。『ミッション』(86)のラッシュを観て、純粋に心を揺さぶられ、魂を込めた音楽を書き上げたのだ。だが、確実視されたアカデミー賞®を逃し、「理解してもらえない」と傷ついたモリコーネは、自身の原点である室内楽の作曲へと戻っていく。
今度こそ本当に映画音楽と決別したモリコーネに、フェリーニ作品で知られる名プロデューサー、フランコ・クリスタルディから依頼が届くが、モリコーネは即座に断る。ところが、強引に送られてきた脚本を読んだモリコーネは心を変える。当時、全く無名の新人監督に自ら電話をかけ、「私が曲を書こう」と申し出たのだ。彼こそがジュゼッペ・トルナトーレ、モリコーネに映画の楽しさを思い出せたのは、『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)。モリコーネの新たなるステージの始まりだ。
今度こそ本当に映画音楽と決別したモリコーネに、フェリーニ作品で知られる名プロデューサー、フランコ・クリスタルディから依頼が届くが、モリコーネは即座に断る。ところが、強引に送られてきた脚本を読んだモリコーネは心を変える。当時、全く無名の新人監督に自ら電話をかけ、「私が曲を書こう」と申し出たのだ。彼こそがジュゼッペ・トルナトーレ、モリコーネに映画の楽しさを思い出せたのは、『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)。モリコーネの新たなるステージの始まりだ。
それからのモリコーネに迷いはなかった。9.11の悲劇に捧げたシンフォニー、アカデミー賞®名誉賞受賞、南米・アジア・欧州を回るコンサートでの観客の熱狂、6回目のノミネートで果たしたアカデミー賞®作曲賞受賞─。
最後にマエストロが、親友トルナトーレのカメラを通して、私たちに伝えてくれたこととは─?
最後にマエストロが、親友トルナトーレのカメラを通して、私たちに伝えてくれたこととは─?