野中:『メアリーの総て』(原題:Mary Shelley)は、メアリー・シェリーの生涯のうち、彼女が詩人パーシー・シェリーと出会い、『フランケンシュタイン』という作品を書き、発表するところまでにフォーカスした映画になっています。廣野先生は、ご覧になってみていかがでしたか?
廣野:『フランケンシュタイン』は映画などヴィジュアルなジャンルではよく知られていますが、原作の小説は意外と読まれていません。どうやってその作品が書かれたのか、どういう人が、なぜ書いたのか、ということは、なおさら知られていないのです。『メアリーの総て』ではそれを、作者メアリー・シェリーという人物に焦点をあて、大筋としてメアリーの人生に沿って――細部は異なる点もありますが、概ね伝記的事実に沿って――彼女の「すべて」が『フランケンシュタイン』という作品に結実していったことを紹介した作品ですね。『メアリーの総て』という邦題には、それがよく表れていて、そういう意味でも、新しい視点で描かれた価値のある映画作品になっていると思いました。
野中:私は「総て」というタイトル、はじめは「“総て”なんて言っちゃっていいのかな…」と思ったんです。でも、さっき配給会社の方のお話を聞いたら、監督が“シェリー夫人”というのを前に出さないで欲しい、と言っているそうなんですね。 “夫人”ではなく彼女自身、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーが経験した「総て」を注ぎ込んで『フランケンシュタイン』という小説を執筆した、という意味でこの邦題になったと聞いて、なるほど、と納得しました。
メアリーをとりまく時代と人々
野中:この映画を観ているとシェリーは本当にひどい夫だなと思うんですけど、メアリーは「知的な刺激を与えてくれたし感謝している」と書いていますね。
廣野:ただ単に夫に励ましてもらうだけで、小説が書けるというものではないですよね。文学作品を書くときには、書かずにはいられない何かが必要なはずです。メアリーは18歳で、はや人間の苦悩を書かずにいられない気持ちになるわけですから、夫から与えられた苦悩もまた、作品を生み出す大きな要素だったと思われます。インスピレーションや知的刺激という点でも、やはり夫の存在が大きかったのでしょう。
野中:メアリーが『フランケンシュタイン』を書いた時はまだ17~18歳だったそうですが、そこに至るまでも波乱万丈の人生といいますか…。
まずご両親も傑出した方々だったんですよね。
廣野:はい。父親のウィリアム・ゴドウィンは政治学者、母親のメアリ・ウルストンクラフトは女権拡張論者、つまりフェミニストのはしりといわれる人で、どちらも思想家です。両親ともに、たいへんな有名人だったわけです。彼らは急進的な思想家で、結婚制度についても否定的な考え方の持ち主でしたが、ウルストンクラフトが妊娠したことをきっかけに結婚し、メアリーが生まれたわけです。
野中:18世紀末ですよね。
廣野:そうですね。そしてメアリーを産んだ数日後、母親は産褥熱で亡くなってしまいます。だからメアリーは、生まれたときから母親を知らないわけですが、彼女の中で母親の存在はとても大きかったのだと思います。この映画も、メアリーが母親の墓場にいる場面から始まっていますね。メアリーは父親の後妻である継母と仲が悪かったので、よく母親のお墓参りをしていたということは、事実に基づいています。映画の中でも母親の書いた書物を読んだり、肖像画を見たりしている場面がありますが、実際、亡くなった母親を慕っていたように思われます。
野中:ご両親が活躍していた時代にはフランス革命が起こったり、イギリスでも近代的な政治体制がまだ不安定な中で産業革命が進んでいる、激動の時代だったんですよね。
廣野:小説『フランケンシュタイン』の冒頭は、ウォルトンという人物の手記から始まっています。その中では「17××年」というように、正確な年代の記述は伏せられていますが、作中のいろいろな出来事から計算すると、それが1790年代だということが推定できます。まさにフランス革命のただ中が舞台となっている物語ということですね。実際にメアリーが小説を書いた時期は、1816~1818年ですが、それはナポレオン戦争が終結した後で、イギリスでもフランス革命の煽りで政情が不安定となり、革命の気運が高まっていて、ある意味で「怪物的」なものが今にも起こりそうな時代でした。
野中:メアリーはイギリス人ですが、『フランケンシュタイン』の博士はスイス出身でドイツの大学に行ったり、フランスから逃れてきた家族が出てきたり、当時のヨーロッパ大陸の様子をうかがい知ることができる描写も読んでいて面白かったです。また、作中でいろいろな本が引用されていますよね。これは当時メアリーが読んでいたものなのでしょうか?
廣野:そうですね、子供の頃から父親の影響のもと、知的環境の中で育ちましたので、ずいぶん読書をして、古典的な作品も数多く読んでいたようです。『フランケンシュタイン』の副題は「現代のプロメテウス」と名づけられています。プロメテウス神話はヘシオドスやアイスキュロス、オウィディウスなどの作品に出てきますが、そういうギリシアやローマの古典にも、メアリーは親しんでいたのでしょう。また18世紀後半から19世紀はじめにかけては、ロマン主義の思潮が盛んだった時代です。理性を重んじる従来の古典主義に反抗する形で、ロマン主義は、人間の自由な感情を解放しようとし、整然とした人工的な自然ではなく崇高な荒々しい自然や、超自然的なものを重んじる芸術文化がヨーロッパで広がっていました。それを代表するのが、ロマン派詩人たちの詩です。夫のパーシー・シェリーも含め、ワーズワースやコールリッジなどの詩も、作中で引用されています。また、アルプスの山々や湖の描写などには、直接の引用はなくても、バイロンの作品を彷彿とさせる部分があります。
野中:バイロン卿という人はどんな人だったのでしょうか?
廣野:バイロン卿は、卿(ロード)という爵位が付いているとおり、貴族です。男爵家の生まれで、広大な領地を継ぎ、上流階級に属しています。ケンブリッジ大学に行きますが、賭博や放蕩にのめりこんで、中退しています。ギリシアやスペイン、トルコなど、各地を旅行していて、放浪癖があったようです。
一方シェリーのほうは、父親が準男爵なので、厳密に言うと貴族ではなく中産階級の最上位ということになります。実質的には上流階級なので、バイロンと共通点が目立ちます。自由思想家であったり、放蕩を尽くしたり。服装なども、貴族的な雰囲気でしたね。バイロンやシェリーは、ゴドウィンやその娘メアリーよりも、階級が上だったわけです。
野中:駆け落ちしている最中のメアリーとパーシー・シェリーが、スイスのレマン湖のほとりにあるバイロンのお屋敷に滞在したのがきっかけで『フランケンシュタイン』が生まれたというのは、「ディオダティ荘の怪奇談義」と呼ばれる有名なエピソードなんですよね。
廣野:メアリーの父ゴドウィンの再婚相手はクレアモント夫人という女性で、彼女の連れ子のひとりに――父親が誰かもわからないのですが――クレアという娘がいました。この映画の中でも重要な役割を果たしますが、クレアがバイロンの愛人になったので、彼女とメアリー、パーシー・シェリーが一緒にバイロンを訪ね、その先で二大詩人が出会ったことが、作品が生まれた発端になりました。
野中:この映画では、クレアのキャラクターがすごくユニークだなと思いました。
メアリーは継母と折り合いが悪い。だけど、その連れ子で義理の妹にあたるクレアは、メアリーのことをすごく慕っている。メアリーもクレアに「こんな家イヤ!いつか2人で逃げましょう」と言っていて。その後メアリーがパーシーと恋に落ちて家を出て行くときに、なんとクレアも付いてきちゃうんですよね!(笑)そうやってクレアを受け入れるところで、メアリーのことも応援したい気持ちになりましたね。約束を守って偉い! いいやつだな! って。世の中、男女の恋愛によって女の子同士の絆が壊れてしまう物語が多すぎるのが由々しき問題だと思っているので(笑)。その後、クレアとパーシーの浮気が疑われたりもしつつ、最終的にはメアリーとクレアの助け合う関係がいい感じで描かれているところがとても現代的だなと思いました。
メアリーは知的な女性としてバイロン卿にも認められますが、クレアにはそういった能力はないんですよね。でも「こんな退屈な生活は嫌だ」と行動して、バイロン卿に近づいて…という、やる気と上昇志向、メアリーにはない突破力はあったのかもしれないな、と。バンドものとかでもよくある、「すごいトラブルメーカーで後々たいへんなことになるんだけど、このメンバーがいないと最初の段階で注目を集められない」みたいな(笑)。彼女についてもっと知りたくなりました。
廣野:クレアの母親とゴドウィンは、近所の知り合いだったということで再婚しました。クレアにしてみたら、母親の再婚相手がたまたま有名人で、有名人が出入りする家庭の一員に突然なったわけです。そんな中で舞い上がってしまった面もあるかと思いますが、クレアはメアリーと仲良くなり、彼女から知的な良い刺激も得て、自分ももっと広い世界に生きていきたい、と思ったのではないでしょうか。クレアにとってその突破口は、男性と付き合うことしかなかったのかもしれません。でも、彼女も一生懸命に生きようとしている。そのことがメアリーにとって、苦しみを与える原因ともなったかもしれませんが、それも含めて一種の「触媒」になったのでしょう。映画の中で、クレアも重要な存在の一人だと思います。
メアリーの母親はかなり奔放な人で、結婚前に同棲していたギルバート・イムレイというアメリカ人男性との間に子供がいたのですが、彼にまた別の恋人が出来たので、2回自殺未遂しているんですね。また、映画には有名な画家フューズリの「夢魔」という絵が出てくる場面がありました。『フランケンシュタイン』とかなり呼応するイメージを掻き立てる絵画ですが、ウルストンクラフトはその画家のことも好きになりました。メアリーの母親は自由奔放に生きた人ですが、やはり脆い面もあったのですね。自由恋愛は思想的には理想であると考えられたとしても、それを貫こうとするといろいろな面で破綻してしまうこともあり、彼女も結局は妊娠したときに、ゴドウィンと正式に法的な結婚をするに至っています。
ゴドウィンも自由恋愛を信奉していましたが、パーシー・シェリーが、妻子がいる身で自分の娘と恋愛することに対しては、許そうとしませんでした。そして、メアリー自身もまた、夫パーシーのあまりにも自由な考え方に対し、「あなたは責任を持たないのか」というような台詞を投げかけるシーンがありましたね。思想を貫くにはそれなりの責任を持たなくてはならない、それを抱え込む厳しさのようなものが、作品では描かれていたのではないでしょうか。
野中:自由恋愛といっても、妊娠、出産で負うリスクは男性より女性のほうが圧倒的に大きくて、女性が不利な立場に追いやられがちなのをどうしたらいいんだろう、というのは200年経っても変わらない問題としてありますよね。メアリーは16歳で駆け落ちして、24歳の時にパーシーをヨット事故で亡くします。パーシーと一緒にいたのは10年にも満たないのに、5回も妊娠してひとりしか成人まで育っていないという…。当時はそういうものだったのかもしれませんが、もうずっと妊娠しているか乳幼児を抱えているかその両方かで、大変なことですよね。
廣野:そうですね。映画では、一人目の子が、生まれて数日後に亡くなってしまったことが、メアリーにとってものすごくショックだったということが描かれていて、それは事実だったようです。さっき野中さんもおっしゃっていたとおり、メアリーはたえず妊娠、出産を繰り返していたわけですが、大人になるまで生き延びたのは一人だけで、他の子どもたちは死んでいくんですね。産むということ、生と死といったことが、若いメアリーの中では大きな問題となっていて、作品の中に入り込んでいると思います。
一人目の子は実際には早産の未熟児で、生まれたときから長くは生きられないと言われていた子でした。しかし初めての子どもを亡くしたことは大きな衝撃で、何とかして蘇らせたいという気持ちになったことや、その子が生き返った夢を見たというようなことが、メアリーの日誌にも書かれています。赤ん坊の中にある生命のうごめきのようなものが、怪物の存在の中にも込められていると思います。またメアリー自身、自分が生まれたことで母親が死んでいますから、自分が母親を殺したというような意識があり、誕生と死とが彼女の中で結びついて、一つのテーマになっているように思えますね。
小説「フランケンシュタイン」
野中:『フランケンシュタイン』で、怪物が復讐としてフランケンシュタインの周りの人たちをどんどん手にかけて、最後には…、という流れなのは、周りの人々がどんどん亡くなっていってしまった彼女の人生が反映されているのかなと思いました。
廣野:この作品は発表された直後から、よく演劇の題材として用いられました。この作品をもとにした亜流作品もたくさん書かれましたし、20世紀になると次々と映画化されて、一般大衆の文化に浸透していきました。そんな中では、怪物はただ恐ろしいだけのものとして捉えられ、怪物に同情したり共感したりするような見方は、長らくなかったように思います。フランケンシュタインのことを怪物と勘違いしている人も少なくないくらいです。最近、ちゃんと原典が読まれるようになってきて、原作には怪物自身が語っている部分もあるとわかり、そうして初めて、怪物に共感する見方も出てくるわけです。この映画は、かなり怪物を理解するという解釈を打ち出していますね。“怪物の気持ちが分かる”というクレアの発言とか、メアリーが“自分は捨てられたものの立場で…”というような表現をしている箇所とかもありましたから。怪物がなぜ殺戮を繰り返すのかといえば、とにかく殺し続けずにはいられない存在だからだ、というのが今までの見方でした。でも原作を読むと、怪物はもともと善いものとして生まれ、フランケンシュタインから捨てられてからも、善い生き方をしようとして人間の共感を求めたのに、あくまでもそれが得られず疎外され排除され、人間として受け入れられなかった。だから本物の怪物になってしまい、その復讐をするために殺戮を繰り返した、というように描かれているのです。
野中:せっかく生まれてきたのに誰にも喜ばれない、“持たざる者” である怪物の悲しみには私も心打たれました。でも、伴侶を作ってくれと博士に求めて、それが叶わないと殺戮に走るというのは本当におっかない。現代の「彼女ができればすべて解決する」と過度に女性に期待して、うまくいかないと攻撃に走る一部の困った男性たちを先取りするようで、これ200年前に書いてるなんて本当にすごいな! と驚きました。
構成も面白いんですよね。『フランケンシュタイン』はまず北極探検に出かける青年の書簡で始まり、その中でフランケンシュタインの語りが始まり、その語りの中に怪物の語りがあり…という、三重の構造になっています。
廣野:そうですね。バイロンの発案からインスピレーションが生まれ、最初に書き始めた冒頭部分は、「11月のある陰鬱な夜…」という、人造人間が生まれた場面でした。それは原作では第5章になっていますが、もともとはそこから始めて数ページだけの怖い話で済ますつもりだったんですね。ところが、夫パーシーから、「どうせ書くなら素晴らしい文学作品にしたほうがいい」と言われたので、イギリスに帰ってから本格的に創作に取り組みました。その時に、ありえないようなところからいきなり始まる単なる怪談ものではなくて、近代小説らしい、現実にもありうる話にしようと考えを練って、手紙から自然に入っていくという形にしたようです。ウォルトンというイギリスの青年が北極探検をしている途中、船でフランケンシュタインを救出して、彼の話を聞いたら…という、内側の枠組みが出来る。フランケンシュタインが何日かかけて話した内容を編集したという形で、よりリアリスティックな要素を加えたわけです。その中には、フランケンシュタインが怪物と出会って交わした会話も数章にわたり挿入されています。
三重の枠組み自体はメアリーが最初に考案したものではなく、ゴシック小説にはもともとこういう重層形式がありました。怖い話というのは、奥に入っていくほど怖くなっていき、外に出られなくなる、という構造のものがありますから。しかし『フランケンシュタイン』の三重枠は、単に恐怖を掻き立てるだけのものではありません。一番外側のウォルトンの話とフランケンシュタインの話とが互いに呼応し合っていたり、“フランケンシュタインはこう言っているけれど、怪物から見たらこうだ”というふうに複数の視点を示していたりする。だから文学的効果を相当ねらっているはずです。映画では、まるで一気に書いたように見えますが(笑)それは脚色ですね。実際にはもっと歳月をかけて書いています。
匿名での出版
廣野:『フランケンシュタイン』の初版は匿名で、メアリーの夫パーシー・シェリーの署名入りの序文をつけて発表されました。だから作者が誰か分からず、噂ではシェリーじゃないかとも言われていました。献辞に「ゴドウィンに捧ぐ」とあったので、その関係者であるらしいし、序文を書いたのもシェリーでしたから。しかしメアリー自身が、夫が亡くなってだいぶん経った後の1831年に第3版を出し、それにイントロダクションを付け、作者が自分だということを正式に名乗って、この作品が出来たいきさつや夫の思い出を書き、堂々と世に名を出したのです。その中で、“夫に励ましてもらったけれども、内容は一切夫には負っていない”と、自分が書いたことを宣言しています。作家としての自信に満ち溢れていますね。
野中:初版の時に匿名で出したのは、やはり時代的に女性であることが理由だったのでしょうか?
廣野:そうですね。映画ではメアリーがいろいろな出版社に原稿を持ち込んでは断られる、という描写がありますが、あれが事実かどうかは分かりません。でも女性が実名で作品を発表することに対して、世の中の理解がない時代だったことは確かです。女性が書いたというと、しっかりした文学作品ではないという偏見から、なかなか本気で読んでもらえないというデメリットがありました。だから野心的な女性の中には、性別を伏せて発表したいという気持ちもあったかもしれません。19世紀の前半にはまだ、文学は男性が担うものだという考え方が主流で、女性がペンを持って自己表現することに対して正しい理解や評価が得られにくい時代でしたので、他にも実名を出さず、匿名やペンネームで作品を発表した作家はたくさんいました。例えばジェイン・オースティンも匿名ですし、ブロンテ姉妹も最初に作品を発表したときには、シャーロット・ブロンテはカラー・ベル、エミリー・ブロンテはエリス・ベルというように、男か女かわからないような名前を使いました。ジョージ・エリオットは、ジョージという男の名前をペンネームとして使いましたが、本名はメアリ・アン・エヴァンスという女性作家です。どうしてジョージというのかについては、ジョルジュ・サンドの影響かもしれないとか、諸説ありますが。女性作家の地位は次第に向上していきましたが、それでも、19世紀後半になっても、ジョージ・エリオットのように女性が実名を名乗らず作品を発表する実例は少なくなかったわけです。ことに『フランケンシュタイン』の場合、夫パーシーの作品だとされてしまったのですから、メアリーには相当悔しい思いがあったかもしれないですね。
マッド・サイエンティストの
原型
廣野:「マッド・サイエンティスト」という概念があって、いろいろな文学作品に出てきますが、科学者フランケンシュタインを形容するのにぴったりの表現かもしれません。「マッド」という言葉は日本語に訳しにくいですが、“情熱的で理想に燃えて、それでちょっといきすぎてしまい歯止めの利かない人”というようなニュアンスも含まれるかと思います。フランケンシュタインはその原型ですね。パーシー・シェリーにもそういうところがあって、彼も「マッド・シェリー」と言われていました。映画ではメアリーが“こんな作品書いたのよ”と言って原稿を見せて、パーシーがそれを読んだ時、“怪物じゃなくて天使が生まれたらよかったのに”と言うんですよね。あれがまさにシェリー的だと思います。あくまでも美しい理想的なものばかり見るんですね。だから“あなた、現実を見ているの?”とメアリーにぴしゃりと言われてしまいます。そういうふうに、追い求めるものは素晴らしいけれども現実から乖離していく、というところにマッドな面が見られますが、ヴィクター・フランケンシュタインにもそういうところがあり、だから『フランケンシュタイン』の物語は極端な悲劇へと発展していったのですね。
野中:(フランケンシュタインは)いろんな人を不幸にしてしまった、と嘆きつつ、死んでしまった人より生きて苦しんでいる俺の方が苦しい、みたいなことを何度も言いますよね。
廣野:エゴイストですよね。
野中:ダメな人の典型として、よく書けているなあ、と思いました。
廣野:しかも、どうしてフランケンシュタインのような人物が生まれたかを語る時に、普通は影のある人というように造形しがちですが、そうではなく、彼はすごく恵まれた生まれで、幸福な少年時代を過ごしている人物なんです。その人がこんなふうに間違ったところに行く、というのが怖い。“恵まれた坊ちゃんが、どうしてこういうことになったの?”というようなことも時々ありますが、そういう点でもやはり現実味があると思います。
野中:そうですね。恵まれているから「なんとかなるだろう」と思ってしまってますます酷いことになる悲劇というか。
廣野:他人の気持ちを考えない、エゴイズムというものが、フランケンシュタインという人物をとおして描かれています。怪物のほうにもエゴイスティックなところがあります。造った者と造られた者同士、似ている面があって、最後に言い争ったりしています。どっちの方が苦しんだかと、主張し合ったりしています。そういうところでも、外から見るとアイロニーが浮かんできます。
野中:“自分の方が苦しい”競争でどんどん不幸になってしまう、というのはすごく現代的な問題ですね。
廣野:そして『フランケンシュタイン』の作中、そういう男性達の中で女性はやはり犠牲になっているんですね。女性監督が、男のエゴイズムという角度から描いている作品であるとも言えます。
フランケンシュタイン」の
文学的位置づけ
ここで、会場からお二人への質問を
受け付けました。
一般:フランケンシュタインの初版出版当時、いわゆる恐怖小説というのは文学界でどういう位置にあったのでしょうか。今でいうとスティーヴン・キングとか、ある種サブカルチャー的な位置にあると思いますが、出版当初にはいわゆる文学の一ジャンルとして認められて真面目に読まれていたのか、あるいはエンターテイメントとして受け止められていたのか、というのをお聞きしたいです。
廣野:もともと、文学のジャンルは詩と演劇と小説に分かれていました。詩と演劇はキリストが生まれる前からあって、文学ジャンルとしての長い伝統があります。それに対して小説は、イギリスでは18世紀の初め頃、一般市民の娯楽のための読み物として誕生しました。小説自体が、文学的に高い地位に位置づけられていなかったのです。もちろん作り手の側としては、文学性を志向していた作家も少なくありませんでしたが、受け手の側としては主として娯楽の対象だったのです。当時は、印刷技術が発達していくのと同時に、識字率も上昇していき、中産階級以上の人々がどんどん小説を読むようになっていきました。それに、ジャーナリズムが発達して、雑誌や新聞などの定期刊行物に小説が連載されるという形式も取られることがありました。テレビなどもない時代ですから、コーヒーショップでそういう連載作品を読んで、皆でその続きを楽しみにする、というような雰囲気も広がっていました。よくある出版形態は、そのシリーズが終わったときに三巻本で出るというものでした。本も高級品だったので、一般の人はなかなか買えませんでしたが、巡回図書館や貸本屋という産業が流行って、字の読める人は面白い本が出たら争うように読むというような状況でした。
そもそも、“皆が楽しめる、読者が喜ぶものを”というエンターテイメント的な発想が多くの小説家たちの中にあり、18世紀の終わり頃からは、感傷的な恋愛小説やゴシック小説、つまり恐怖小説が流行します。今の時代もそうですが、読者の興味は繰り返されていると思います。ですから、当時は、一般市民や上流階級の人々も含めて、みな面白い小説を読みたがっていたというふうに、全般的には捉えてよいかと思います。のちの評価によって、だんだん文学史的な位置づけが定着して、多くの作品は淘汰されていくわけですが。『フランケンシュタイン』は、大衆向けのローカルチャーとして位置づけられていくことになりました。
野中:当時はとにかく詩人がいちばん偉いみたいな…。
廣野:そうですね、やはり詩は歴史も深いので、小説よりも高貴なものとして、一段上に位置づけられていました。映画にも、シェリーが詩を朗読すると社交界の人たちが集まってもてはやす、というようなシーンが描かれていましたね。
『メアリーの総て』について
一般:メアリー・シェリーの半生、及びメアリーをとりまく人間関係を映像化した作品は今回がほぼ初めてですが、実際の人物を演じたそれぞれのキャストの演技は、イメージと合っていましたか?
廣野:これは単に個人的な私の印象にすぎませんが、メアリー役のエル・ファニングさんは知的で意志の強そうな人という感じがよく出ていると思いました。実際のメアリー・シェリーの肖像画を見ると優しそうな人に描かれていますが、実は意志が一本通った女性、という感じでとてもよかったと思います。メアリーがパーシー・シェリーとスコットランドで最初に出会うという場面は史実とは少し異なりますが、メアリーの目には彼がいかにも素敵な男性に映り、恋心が芽生えたことがよくわかるようなシーンにしてありましたね。シェリー役の俳優の映し方としては、最初に登場した頃、女性の気持ちを惹きやすいようなハンサムで才能溢れる人、というような感じがよく出ていて、それがだんだん観ているうちに、お調子者に見えてきましたね。バイロンは貴族らしい服装をしていて、いわゆる“バイロン的”という言葉があるように、悪魔的な“悪い男”のイメージがよく出ていました。彼の周囲では、退廃した貴族のサロンの雰囲気も描かれていました。バイロンに雇われた掛かりつけの医者ポリドリも、誠実そうな感じでした。全般的に、特に違和感もなく、自然でよいキャスティングだと思いました。野中さんはどうでしたか?
野中:すごく綺麗に撮れていて、観ていてとても楽しかったです。エル・ファニングは『パーティで女の子に話しかけるには』では宇宙人の女の子をやっていて。そういう、ちょっと周りから浮いてしまうような存在感がメアリー役にうまくハマっていたと思います。スタイルとか絶対この時代の人じゃないだろうと言われてしまいそうですけど、それはそれで少女漫画みたいなものとして私は好きでした。
廣野:伺ったところでは、エル・ファニングさんは19歳か20歳とのことで、実際にメアリーとあまり差がないようです。最初は少女で、大人に成長していき、恋愛をして母親になって、作品を出すというあたりは、年齢的にご本人と重ねやすいでしょうね。
衣装にも、時代考証のあとが見られたように思います。最初は中産階級なので質素な服装でしたが、デザインは綺麗にしてありました。パーシーは決してお金があるわけではないのに貴族趣味なので、そんなパーシーの奥さんになってからは、メアリーもだんだん華やかな服装になっていきました。それから色調としては、メアリーには青い色の服が知的で似合っていたと思います。私は美術が専門ではありませんが、そういう美的な点でも工夫が凝らされていたと思います。
野中:衣装や髪型がどれもすごく素敵で見応えがありました。そこ、すごく大事なところだと思います。大きなベレー帽とかまねして被りたくなりますよね。いろいろな角度から楽しめて、さらに歴史や文化に興味が広がっていくきっかけになれる作品だと思います。