ABOUT THE MOVIE

巨匠 パオロ・ソレンティーノがたどり着いた、悠久の“美”
『グレート・ビューティー/追憶のローマ』で第86回アカデミー賞®外国語映画賞を受賞したパオロ・ソレンティーノ監督最新作。愛を探すパルテノペの生涯をノスタルジックに描きだす人生讃歌。新星セレステ・ダッラ・ポルタの瑞々しい<美>と、故郷ナポリへの愛を、圧倒的な映像美で描き出し、青春の輝きと、愛と孤独に向き合った、巨匠の新境地かつ真骨頂といえる渾身の傑作。製作にはサンローラン プロダクションが名を連ね、ブランドのクリエイティブディレクター、アンソニー・ヴァカレロが衣装のアートディレクションを手掛ける。第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、気鋭の配給会社A24が北米配給権を獲得した。

STORY

1950年、南イタリア・ナポリで生まれた赤ん坊は、人魚の名でナポリの街を意味する“パルテノペ”と名付けられた。美しく聡明なパルテノペは、兄・ライモンドと深い絆で結ばれていた。年齢と出会いを重ねるにつれ、美しく変貌を遂げてゆくパルテノペ。だが彼女の輝きが増すほど、対照的に兄の孤独は暴かれていく。そしてあの夏、兄は自ら死を選んだ…。彼女に幸せをもたらしていた<美>が、愛する人々に悲劇を招く刃と変わる。それでも人生を歩み続けるパルテノペが果てなき愛と自由の探求の先に辿り着いたのは――

DIRECTOR'S NOTE

「この街で辛い目にあったが、
それでも希望やパワーを
持てる地だ」

映画『黄昏のチャイナタウン』より

ある日、「あなたにとって神聖なものとは?」という難問に答えなければならず、本能的にこのように答えた。「神聖なものとは、人生で忘れられないものである」と。こうしてこの映画が生まれた。

私にとって、本作は何よりも神聖なものを扱った映画である。ある女性が73年の人生で忘れられなかったもの。ナポリの海や両親、太陽の光の下での純真な初恋、汚れた口に出せないもう一つの恋、カプリでの最高の夏とその気楽さ、塩の香る夜明け、芳しい夜、静かな朝、束の間の出会い、不思議な出会いや運命的な出会い、青春期におけるエロチシズムや誘惑への目覚め、自由への陶酔、可能な限り生を感じ、ため息をつくこと、狂おしいほどの自己探究、失敗した恋や、形にすらならなかった恋、大人になることで感じる苦悩、過ぎ去っていく人生、容赦なく流れていく時間、決して離れることのないたった一人の恋人、ナポリとその苛立たしいまでの活力、街角では信じられないことが起こり、群衆はまるで見えないカーテンの後ろでつねに列に並んでいるかのように、パルテノペの人生に加わり、混沌や俗悪さ、驚き、美しさや放蕩、その他ありとあらゆるものを彼女にもたらしている。

ナポリは自由で危険な街であり、パルテノペのように、決して決めつけることはない。彼女はつねに自由であり、決してそれを手放さない。その代償として、パルテノペは孤独を抱えている。残念なことに、孤独と自由はしばしば対をなすものである。予測できないすばらしい人生の幻想を抱くには、ナポリは理想的な場所である。ジョルジョ・マンガネッリの見事な比喩を借りれば、この街で私たちの人生は、まるで絨毯の裏側の模様のように複雑な姿を見せる。私たちはその模様を推測することはできるが、決して完全には見ることはできない。人の人生とは明確なものではなく、論理的なものでもない。人生は広大であり、私たちは絶えず道に迷っている。
人生を見つめようとし、秩序立てようとするが、人生は私たちを見てはくれず、つねに別の場所にある。これこそが私たちが置かれている状況であり、私たちを疲れさせ、疑念を抱かせ、そして神秘的なものとしているのである。パルテノペも私たちと同様、疑念と神秘に満ちている。

「愛しすぎているのか、それとも愛し足りないのか?そこに違いがある」と、作中で聖人に扮した悪魔のような人物がパルテノペに尋ねる場面がある。この質問は私たち一人一人に向けられている。パルテノペも、そして私たちも答えを知らない。あらゆる質問がなされたが、答えはすべて不確かで曖昧、矛盾しているからである。自分自身を理解していないからこそ、他人の目には私たちは神秘的に映るのである。
パルテノペは神秘である。

いずれにせよ、私たちは自らを見捨て、責任を負い、そして見捨てられる。それが時の流れというものであり、本作の野心的なテーマとなっている。人生の流れには幸福感と失望感、愛とその終わり、憂いの終わりと欲望の始まりが含まれている。 つまり、人生のあらゆる側面が可能な限り一つの映画に込められている。

そして時が経つにつれ、ナポリでの驚くべき予測不能な生活もまた、輝きを失っていく。パルテノペは見捨てられた。若さを失い、他人から見られることもなく、突如として感情は消え去ってしまった。ナポリの海はもはやただの水でしかない。驚きは薄れ、幻想に騙されることもなくなった。人は孤独になる。そしてニーチェが言うように、自分という存在になる。こうしてパルテノペはナポリを離れ、誰にも知られない場所へと向かう。今やパルテノペは大人となり、働いている。プルーストが書いたように、そしてデ・ニーロが演じたように、40年間、彼女は早い時間に床に就いていた。パルテノペは愛し足りない。

73歳、仕事を辞めたパルテノペは再び変わらざるをえず、自身の過去や内にある神聖なものを見つめ直さなければならない。そして再び愛し始め、あるいは愛することを思い描く。ゆえに彼女はナポリへと戻って来る。野性的で気取ったナポリの街は決して変わらず、年月を経てもなお私たちを欺き、魅了する。それこそが私たちを最後まで生へと繋ぎとめる唯一の感情なのかもしれない。

そしてパルテノペはため息をつく。若いころのように。


パオロ・ソレンティーノ

ある日、「あなたにとって神聖なものとは?」という難問に答えなければならず、本能的にこのように答えた。「神聖なものとは、人生で忘れられないものである」と。こうしてこの映画が生まれた。

私にとって、本作は何よりも神聖なものを扱った映画である。ある女性が73年の人生で忘れられなかったもの。ナポリの海や両親、太陽の光の下での純真な初恋、汚れた口に出せないもう一つの恋、カプリでの最高の夏とその気楽さ、塩の香る夜明け、芳しい夜、静かな朝、束の間の出会い、不思議な出会いや運命的な出会い、青春期におけるエロチシズムや

誘惑への目覚め、自由への陶酔、可能な限り生を感じ、ため息をつくこと、狂おしいほどの自己探究、失敗した恋や、形にすらならなかった恋、大人になることで感じる苦悩、過ぎ去っていく人生、容赦なく流れていく時間、決して離れることのないたった一人の恋人、ナポリとその苛立たしいまでの活力、街角では信じられないことが起こり、群衆はまるで見えないカーテンの後ろでつねに列に並んでいるかのように、パルテノペの人生に加わり、混沌や俗悪さ、驚き、美しさや放蕩、その他ありとあらゆるものを彼女にもたらしている。

ナポリは自由で危険な街であり、パルテノペのように、決して決めつけることはない。彼女はつねに自由であり、決してそれを手放さない。その代償として、パルテノペは孤独を抱えている。残念なことに、孤独と自由はしばしば対をなすものである。予測できないすばらしい人生の幻想を抱くには、ナポリは理想的な場所である。ジョルジョ・マンガネッリの見事な比喩を借りれば、この街で私たちの人生は、まるで絨毯の裏側の模様のように複雑な姿を見せる。私たちはその模様を推測することはできるが、決して完全には見ることはできない。人の人生とは明確なものではなく、論理的なものでもない。

人生は広大であり、私たちは絶えず道に迷っている。
人生を見つめようとし、秩序立てようとするが、人生は私たちを見てはくれず、つねに別の場所にある。これこそが私たちが置かれている状況であり、私たちを疲れさせ、疑念を抱かせ、そして神秘的なものとしているのである。パルテノペも私たちと同様、疑念と神秘に満ちている。

「愛しすぎているのか、それとも愛し足りないのか?そこに違いがある」と、作中で聖人に扮した悪魔のような人物がパルテノペに尋ねる場面がある。

この質問は私たち一人一人に向けられている。パルテノペも、そして私たちも答えを知らない。あらゆる質問がなされたが、答えはすべて不確かで曖昧、矛盾しているからである。自分自身を理解していないからこそ、他人の目には私たちは神秘的に映るのである。
パルテノペは神秘である。

いずれにせよ、私たちは自らを見捨て、責任を負い、そして見捨てられる。それが時の流れというものであり、本作の野心的なテーマとなっている。人生の流れには幸福感と失望感、愛とその終わり、憂

いの終わりと欲望の始まりが含まれている。 つまり、人生のあらゆる側面が可能な限り一つの映画に込められている。

そして時が経つにつれ、ナポリでの驚くべき予測不能な生活もまた、輝きを失っていく。パルテノペは見捨てられた。若さを失い、他人から見られることもなく、突如として感情は消え去ってしまった。ナポリの海はもはやただの水でしかない。驚きは薄れ、幻想に騙されることもなくなった。人は孤独になる。そしてニーチェが言うように、自分という存在になる。こうしてパルテノペはナポリを離れ、誰

にも知られない場所へと向かう。今やパルテノペは大人となり、働いている。プルーストが書いたように、そしてデ・ニーロが演じたように、40年間、彼女は早い時間に床に就いていた。パルテノペは愛し足りない。

73歳、仕事を辞めたパルテノペは再び変わらざるをえず、自身の過去や内にある神聖なものを見つめ直さなければならない。そして再び愛し始め、あるいは愛することを思い描く。ゆえに彼女はナポリへと戻って来る。野性的で気取ったナポリの街は決して変わらず、年月を経てもなお私たちを欺き、魅了す

る。それこそが私たちを最後まで生へと繋ぎとめる唯一の感情なのかもしれない。

そしてパルテノペはため息をつく。若いころのように。


パオロ・ソレンティーノ

REVIEW

壮大で、繊細、忘れがたい映画

VANITY FAIR

偉大なる美への祝福

THE WRAP

まばゆい詩情の瞬間

ROLLING STONE

心奪われる芸術の旅路

VARIETY

素晴らしい輝き

NEW YORK MAGAZINE

CAST

STAFF

サンローラン 
プロダクションについて

フランスのファッションブランド、サンローランの正式な子会社として設立された「サンローラン プロダクション」の始動により、サンローランは映画制作を本格的な活動の一つとして取り入れた初のラグジュアリーブランドとなった。この新たな取り組みは、サンローランのクリエイティブ・ディレクター アンソニー・ヴァカレロによって構想され、彼が導くブランドの未来像と共鳴しながら、そのコレクションに見られる映画的な広がりと繊細さを反映している。「これまで私にインスピレーションを与えてくれた素晴らしい映画作家たちと仕事をし、彼らのための場を提供したいと思っています」と、サンローランのクリエイティブ・ディレクターであるヴァカレロは語る。

パルテノペ

セレステ・ダッラ・ポルタ

1997年、イタリア・ロンバルディア州モンツァ生まれ。イタリア国内のTVシリーズなどに出演。オーディションの末、本作の主役に抜擢されて銀幕デビューを飾り、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で主演女優賞にノミネート、新人賞を受賞した。

パルテノペ(73 歳)

ステファニア・サンドレッリ

1946年、イタリア、トスカーナ州生まれ。15歳のときに美人コンテストで優勝し、イタリアの名優ウーゴ・トニャッツィと共演した『Il federale』(61)で初主演。その後、ピエトロ・ジェルミ監督『イタリア式離婚狂想曲』(61)でマルチェロ・マストロヤンニと共演。70年代にはベルナルド・ベルトルッチ監督『暗殺の森』(70)ほか、エットーレ・スコラ、ルイジ・コメンチーニらと仕事をし、『アルフレード アルフレード』(72)でダスティン・ホフマンと、ベルナルド・ベルトルッチ監督『1900年』(76)でロバート・デ・ニーロ、ジェラール・ドパルデューらと共演し、『女たちのテーブル』(85)でカトリーヌ・ドヌーヴやリヴ・ウルマンと共演を果たす。90年代からはテレビシリーズで活躍しながらも、ガブリエレ・ムッチーノ監督の『最後のキス』(01)、マノエル・ド・オリヴェイラ監督『永遠の語らい』(03)などに出演。2005年9月10日、第62回ヴェネツィア国際映画祭では、特別金獅子生涯功労賞が贈られた。

ジョン・チーヴァー

ゲイリー・オールドマン

1958年、イギリス・ロンドン生まれ。ロンドンの演劇学校を卒業後、地方劇団に入団。舞台俳優としての活動を始め、ロイヤル・コート・シアターに参加。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーとも共演するなどして活躍し、数々の賞を得る。1986年の『シド・アンド・ナンシー』で映画デビュー。『クリミナル・ロウ』(89)でアメリカに進出し、『JFK』(91)ではケネディ暗殺犯のオズワルド役で注目を集める。以降も『ドラキュラ』(92)『レオン』(94)『フィフス・エレメント』(97)などで強烈なキャラクターに扮してハリウッドにインパクトを与え続ける。97年の『ニル・バイ・マウス』では監督デビューを果たす。ファンタジー大作『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(04)からメイン・キャラクターの一人に起用され、話題に。さらにクリストファー・ノーラン監督によるバットマン・シリーズではゴードン警部補を演じた。2011年の『裏切りのサーカス』でアカデミー賞主演男優賞に初ノミネート。そして『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(17)で、ついにアカデミー賞主演男優賞に輝いた。『猿の惑星:新世紀(ライジング)』(14)、『ハンターキラー 潜航せよ』(18)、『Mank/マンク』(20)、『オッペンハイマー』(23)など話題作へ出演。

監督/脚本

パオロ・ソレンティーノ

1970年、イタリア・ナポリ生まれ。25歳の時、ナポリ・フェデリコ2世大学経済経営学部で数年間学んだ後、映画界で働くことを決意。2001年、トニ・セルヴィッロとアンドレア・レンツィを主演に迎えた「L'uomoinpiù」で長編映画監督デビュー、ヴェネツィア国際映画祭に出品され、イタリア映画ジャーナリスト協会賞新人監督賞受賞、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では新人監督賞と脚本賞にノミネートされた他、数多くの賞に輝いた。『愛の果てへの旅』(04)がカンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では作品、監督、脚本賞を含む5部門と、その他のイタリアの重要な賞を多数受賞した。続く「L’amico di famiglia」(06)は、カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品。『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』(08)は、ショーン・ペンが審査員長を務めた同映画祭で審査員賞に輝き、アカデミー賞®メイクアップ賞にノミネートされた。その後2011年に、そのショーン・ペンを主演に初めての英語作品『きっとここが帰る場所』でカンヌ国際映画祭エキュメニカル審査員賞、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では脚本賞など6部門を受賞。『グレート・ビューティー/追憶のローマ』(13)もカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、第86回アカデミー賞®外国語映画賞を始め、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞など主要な映画賞にも多数輝いた。英語作品2作目となる『グランドフィナーレ』(15)もカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、長編デビュー作から6作品連続でのカンヌ国際映画祭への出品を果たす。『グランドフィナーレ』は、ヨーロッパ映画賞作品賞、監督賞、主演男優賞、名誉賞の4部門に輝き、アカデミー賞®主題歌賞ノミネートのほか、各国主要映画賞13部門受賞、44部門にノミネートされるなど映画賞を席巻した。2019年にはイタリアの元首相ベルルスコーニをモデルにした『LORO 欲望のイタリア』、2021年にネットフリックスで製作された『The Hand of God -神の手が触れた日-』は第78回ヴェネツィア国際映画祭で審査員大賞を受賞した。映画の他にも、TVドラマや短編も数多く手がけ、2010年には小説「Hanno tutti ragione(みんなの言うとおり)」や2冊の短編小説集を出版しており、「Gli aspetti irrilevanti」 (2016)はイタリアで最も権威のある文学賞であるストレガ賞の最終候補に残った。2016年にはジュード・ロウ、ダイアン・キートン、シルヴィオ・オルランドが出演したローマ教皇をモチーフにした初のテレビシリーズ『ヤング・ポープ 美しき異端児』(DVD)を手掛けた。