ABOUT THE MOVIE

巨匠 パオロ・ソレンティーノがたどり着いた、悠久の“美”
『グレート・ビューティー/追憶のローマ』で第86回アカデミー賞®外国語映画賞を受賞したパオロ・ソレンティーノ監督最新作。愛を探すパルテノペの生涯をノスタルジックに描きだす人生讃歌。新星セレステ・ダッラ・ポルタの瑞々しい<美>と、故郷ナポリへの愛を、圧倒的な映像美で描き出し、青春の輝きと、愛と孤独に向き合った、巨匠の新境地かつ真骨頂といえる渾身の傑作。製作にはサンローラン プロダクションが名を連ね、ブランドのクリエイティブディレクター、アンソニー・ヴァカレロが衣装のアートディレクションを手掛ける。第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、気鋭の配給会社A24が北米配給権を獲得した。

STORY

1950年、南イタリア・ナポリで生まれた赤ん坊は、人魚の名でナポリの街を意味する“パルテノペ”と名付けられた。美しく聡明なパルテノペは、兄・ライモンドと深い絆で結ばれていた。年齢と出会いを重ねるにつれ、美しく変貌を遂げてゆくパルテノペ。だが彼女の輝きが増すほど、対照的に兄の孤独は暴かれていく。そしてあの夏、兄は自ら死を選んだ…。彼女に幸せをもたらしていた<美>が、愛する人々に悲劇を招く刃と変わる。それでも人生を歩み続けるパルテノペが果てなき愛と自由の探求の先に辿り着いたのは――

DIRECTOR'S NOTE

「この街で辛い目にあったが、
それでも希望やパワーを
持てる地だ」

映画『黄昏のチャイナタウン』より

ある日、「あなたにとって神聖なものとは?」という難問に答えなければならず、本能的にこのように答えた。「神聖なものとは、人生で忘れられないものである」と。こうしてこの映画が生まれた。

私にとって、本作は何よりも神聖なものを扱った映画である。ある女性が73年の人生で忘れられなかったもの。ナポリの海や両親、太陽の光の下での純真な初恋、汚れた口に出せないもう一つの恋、カプリでの最高の夏とその気楽さ、塩の香る夜明け、芳しい夜、静かな朝、束の間の出会い、不思議な出会いや運命的な出会い、青春期におけるエロチシズムや誘惑への目覚め、自由への陶酔、可能な限り生を感じ、ため息をつくこと、狂おしいほどの自己探究、失敗した恋や、形にすらならなかった恋、大人になることで感じる苦悩、過ぎ去っていく人生、容赦なく流れていく時間、決して離れることのないたった一人の恋人、ナポリとその苛立たしいまでの活力、街角では信じられないことが起こり、群衆はまるで見えないカーテンの後ろでつねに列に並んでいるかのように、パルテノペの人生に加わり、混沌や俗悪さ、驚き、美しさや放蕩、その他ありとあらゆるものを彼女にもたらしている。

ナポリは自由で危険な街であり、パルテノペのように、決して決めつけることはない。彼女はつねに自由であり、決してそれを手放さない。その代償として、パルテノペは孤独を抱えている。残念なことに、孤独と自由はしばしば対をなすものである。予測できないすばらしい人生の幻想を抱くには、ナポリは理想的な場所である。ジョルジョ・マンガネッリの見事な比喩を借りれば、この街で私たちの人生は、まるで絨毯の裏側の模様のように複雑な姿を見せる。私たちはその模様を推測することはできるが、決して完全には見ることはできない。人の人生とは明確なものではなく、論理的なものでもない。人生は広大であり、私たちは絶えず道に迷っている。
人生を見つめようとし、秩序立てようとするが、人生は私たちを見てはくれず、つねに別の場所にある。これこそが私たちが置かれている状況であり、私たちを疲れさせ、疑念を抱かせ、そして神秘的なものとしているのである。パルテノペも私たちと同様、疑念と神秘に満ちている。

「愛しすぎているのか、それとも愛し足りないのか?そこに違いがある」と、作中で聖人に扮した悪魔のような人物がパルテノペに尋ねる場面がある。この質問は私たち一人一人に向けられている。パルテノペも、そして私たちも答えを知らない。あらゆる質問がなされたが、答えはすべて不確かで曖昧、矛盾しているからである。自分自身を理解していないからこそ、他人の目には私たちは神秘的に映るのである。
パルテノペは神秘である。

いずれにせよ、私たちは自らを見捨て、責任を負い、そして見捨てられる。それが時の流れというものであり、本作の野心的なテーマとなっている。人生の流れには幸福感と失望感、愛とその終わり、憂いの終わりと欲望の始まりが含まれている。 つまり、人生のあらゆる側面が可能な限り一つの映画に込められている。

そして時が経つにつれ、ナポリでの驚くべき予測不能な生活もまた、輝きを失っていく。パルテノペは見捨てられた。若さを失い、他人から見られることもなく、突如として感情は消え去ってしまった。ナポリの海はもはやただの水でしかない。驚きは薄れ、幻想に騙されることもなくなった。人は孤独になる。そしてニーチェが言うように、自分という存在になる。こうしてパルテノペはナポリを離れ、誰にも知られない場所へと向かう。今やパルテノペは大人となり、働いている。プルーストが書いたように、そしてデ・ニーロが演じたように、40年間、彼女は早い時間に床に就いていた。パルテノペは愛し足りない。

73歳、仕事を辞めたパルテノペは再び変わらざるをえず、自身の過去や内にある神聖なものを見つめ直さなければならない。そして再び愛し始め、あるいは愛することを思い描く。ゆえに彼女はナポリへと戻って来る。野性的で気取ったナポリの街は決して変わらず、年月を経てもなお私たちを欺き、魅了する。それこそが私たちを最後まで生へと繋ぎとめる唯一の感情なのかもしれない。

そしてパルテノペはため息をつく。若いころのように。


パオロ・ソレンティーノ

ある日、「あなたにとって神聖なものとは?」という難問に答えなければならず、本能的にこのように答えた。「神聖なものとは、人生で忘れられないものである」と。こうしてこの映画が生まれた。

私にとって、本作は何よりも神聖なものを扱った映画である。ある女性が73年の人生で忘れられなかったもの。ナポリの海や両親、太陽の光の下での純真な初恋、汚れた口に出せないもう一つの恋、カプリでの最高の夏とその気楽さ、塩の香る夜明け、芳しい夜、静かな朝、束の間の出会い、不思議な出会いや運命的な出会い、青春期におけるエロチシズムや

誘惑への目覚め、自由への陶酔、可能な限り生を感じ、ため息をつくこと、狂おしいほどの自己探究、失敗した恋や、形にすらならなかった恋、大人になることで感じる苦悩、過ぎ去っていく人生、容赦なく流れていく時間、決して離れることのないたった一人の恋人、ナポリとその苛立たしいまでの活力、街角では信じられないことが起こり、群衆はまるで見えないカーテンの後ろでつねに列に並んでいるかのように、パルテノペの人生に加わり、混沌や俗悪さ、驚き、美しさや放蕩、その他ありとあらゆるものを彼女にもたらしている。

ナポリは自由で危険な街であり、パルテノペのように、決して決めつけることはない。彼女はつねに自由であり、決してそれを手放さない。その代償として、パルテノペは孤独を抱えている。残念なことに、孤独と自由はしばしば対をなすものである。予測できないすばらしい人生の幻想を抱くには、ナポリは理想的な場所である。ジョルジョ・マンガネッリの見事な比喩を借りれば、この街で私たちの人生は、まるで絨毯の裏側の模様のように複雑な姿を見せる。私たちはその模様を推測することはできるが、決して完全には見ることはできない。人の人生とは明確なものではなく、論理的なものでもない。

人生は広大であり、私たちは絶えず道に迷っている。
人生を見つめようとし、秩序立てようとするが、人生は私たちを見てはくれず、つねに別の場所にある。これこそが私たちが置かれている状況であり、私たちを疲れさせ、疑念を抱かせ、そして神秘的なものとしているのである。パルテノペも私たちと同様、疑念と神秘に満ちている。

「愛しすぎているのか、それとも愛し足りないのか?そこに違いがある」と、作中で聖人に扮した悪魔のような人物がパルテノペに尋ねる場面がある。

この質問は私たち一人一人に向けられている。パルテノペも、そして私たちも答えを知らない。あらゆる質問がなされたが、答えはすべて不確かで曖昧、矛盾しているからである。自分自身を理解していないからこそ、他人の目には私たちは神秘的に映るのである。
パルテノペは神秘である。

いずれにせよ、私たちは自らを見捨て、責任を負い、そして見捨てられる。それが時の流れというものであり、本作の野心的なテーマとなっている。人生の流れには幸福感と失望感、愛とその終わり、憂

いの終わりと欲望の始まりが含まれている。 つまり、人生のあらゆる側面が可能な限り一つの映画に込められている。

そして時が経つにつれ、ナポリでの驚くべき予測不能な生活もまた、輝きを失っていく。パルテノペは見捨てられた。若さを失い、他人から見られることもなく、突如として感情は消え去ってしまった。ナポリの海はもはやただの水でしかない。驚きは薄れ、幻想に騙されることもなくなった。人は孤独になる。そしてニーチェが言うように、自分という存在になる。こうしてパルテノペはナポリを離れ、誰

にも知られない場所へと向かう。今やパルテノペは大人となり、働いている。プルーストが書いたように、そしてデ・ニーロが演じたように、40年間、彼女は早い時間に床に就いていた。パルテノペは愛し足りない。

73歳、仕事を辞めたパルテノペは再び変わらざるをえず、自身の過去や内にある神聖なものを見つめ直さなければならない。そして再び愛し始め、あるいは愛することを思い描く。ゆえに彼女はナポリへと戻って来る。野性的で気取ったナポリの街は決して変わらず、年月を経てもなお私たちを欺き、魅了す

る。それこそが私たちを最後まで生へと繋ぎとめる唯一の感情なのかもしれない。

そしてパルテノペはため息をつく。若いころのように。


パオロ・ソレンティーノ

REVIEW

壮大で、繊細、忘れがたい映画

VANITY FAIR

偉大なる美への祝福

THE WRAP

まばゆい詩情の瞬間

ROLLING STONE

心奪われる芸術の旅路

VARIETY

素晴らしい輝き

NEW YORK MAGAZINE

Q&A

CAST

STAFF

サンローラン 
プロダクションについて

フランスのファッションブランド、サンローランの正式な子会社として設立された「サンローラン プロダクション」の始動により、サンローランは映画制作を本格的な活動の一つとして取り入れた初のラグジュアリーブランドとなった。この新たな取り組みは、サンローランのクリエイティブ・ディレクター アンソニー・ヴァカレロによって構想され、彼が導くブランドの未来像と共鳴しながら、そのコレクションに見られる映画的な広がりと繊細さを反映している。「これまで私にインスピレーションを与えてくれた素晴らしい映画作家たちと仕事をし、彼らのための場を提供したいと思っています」と、サンローランのクリエイティブ・ディレクターであるヴァカレロは語る。

COMMENT

*五十音順、敬称略

画面の隅から隅まで、
いかなる瞬間も煌めきが絶えない。
今年観たどんなスペクタクルよりも
壮麗なナポリの姿がそこにはあった。

ISO(ライター)

夏の日差しと広大な海を前に、サンローランの煌びやかな衣装に目を奪われる

苅田梨都子(RITSUKO KARITAデザイナー)

夜がとても長かった時代の、今が今でしかなかった時代の、自由と孤独をめぐる物語。
景色と言葉がすべて詩的で、散文的に生きがちな私の中に重たい余韻が残りました。

清田隆之(文筆家・「桃山商事」代表)

はからずも周囲の運命まで左右してしまうほどの美しさを持って生まれた一人の女性“パルテノぺ”。
瞳に映るわかりやすい「美」ばかりが持て囃されるこの世界で、
しかし彼女は束の間の夢のような人生を旅しながら学問の魅力を知り、
そして何者にも揺るがされることのない知性を獲得してゆく。
パオロ・ソレンティーノが紡ぎ出す映像美は言わずもがな、
この映画の真価はまたそこにもあるように感じられる。

児玉美月(映画批評家)

美しい人が、幸せとは限らない。
知的な人が、全能の訳ではない。
愛はずっと、わからないままだ。
我々は観て、彼女は他者を見て
果てに等しく人間の真理を知る。

SYO(物書き)

花火のような若さや美しさを楽しみながらも、
ただ美しい女として消費されるだけの人生を是としなかった、
聡明な女の一生は、スキャンダラスではないが、けして退屈でもない。
美しくありたいけれども美しいだけで終わりたくない、
多くの私たちの欲望が彼女の選択を支持する。

鈴木涼美(作家)

残酷なまでの美しさと、若さの空虚さ。
成長するということはどういうことか?生き続けるということは?
言葉では言い尽くせない問いに映像と物語で応える。これぞ映画。
すべてのシーンが光と音で織り込まれた輝くタペストリーのよう。
一瞬一瞬が、野生の宝石のような心震える作品!!

武田真一(アナウンサー)

光に焦がれる視線が、色鮮やかなナポリの海と共に揺れる。
男たちの欲望に映し出されたのは、女性の人生であり、都市の影。
どちらも他者に投影され、消費される存在。
誰にも踏み込めない深淵が、その絶景にはある。

竹田ダニエル(ジャーナリスト・研究者)

最後まで目が離せないナポリの情景、そしてイタリアの超新星セレステ・ダッラ・ポルタの美。
物語が進むにつれ増していく彼女の圧巻の美しさを目撃して欲しい。

松尾諭(俳優)

パルテノペ

セレステ・ダッラ・ポルタ

1997年、イタリア・ロンバルディア州モンツァ生まれ。イタリア国内のTVシリーズなどに出演。オーディションの末、本作の主役に抜擢されて銀幕デビューを飾り、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で主演女優賞にノミネート、新人賞を受賞した。

パルテノペ(73 歳)

ステファニア・サンドレッリ

1946年、イタリア、トスカーナ州生まれ。15歳のときに美人コンテストで優勝し、イタリアの名優ウーゴ・トニャッツィと共演した『Il federale』(61)で初主演。その後、ピエトロ・ジェルミ監督『イタリア式離婚狂想曲』(61)でマルチェロ・マストロヤンニと共演。70年代にはベルナルド・ベルトルッチ監督『暗殺の森』(70)ほか、エットーレ・スコラ、ルイジ・コメンチーニらと仕事をし、『アルフレード アルフレード』(72)でダスティン・ホフマンと、ベルナルド・ベルトルッチ監督『1900年』(76)でロバート・デ・ニーロ、ジェラール・ドパルデューらと共演し、『女たちのテーブル』(85)でカトリーヌ・ドヌーヴやリヴ・ウルマンと共演を果たす。90年代からはテレビシリーズで活躍しながらも、ガブリエレ・ムッチーノ監督の『最後のキス』(01)、マノエル・ド・オリヴェイラ監督『永遠の語らい』(03)などに出演。2005年9月10日、第62回ヴェネツィア国際映画祭では、特別金獅子生涯功労賞が贈られた。

ジョン・チーヴァー

ゲイリー・オールドマン

1958年、イギリス・ロンドン生まれ。ロンドンの演劇学校を卒業後、地方劇団に入団。舞台俳優としての活動を始め、ロイヤル・コート・シアターに参加。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーとも共演するなどして活躍し、数々の賞を得る。1986年の『シド・アンド・ナンシー』で映画デビュー。『クリミナル・ロウ』(89)でアメリカに進出し、『JFK』(91)ではケネディ暗殺犯のオズワルド役で注目を集める。以降も『ドラキュラ』(92)『レオン』(94)『フィフス・エレメント』(97)などで強烈なキャラクターに扮してハリウッドにインパクトを与え続ける。97年の『ニル・バイ・マウス』では監督デビューを果たす。ファンタジー大作『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(04)からメイン・キャラクターの一人に起用され、話題に。さらにクリストファー・ノーラン監督によるバットマン・シリーズではゴードン警部補を演じた。2011年の『裏切りのサーカス』でアカデミー賞主演男優賞に初ノミネート。そして『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(17)で、ついにアカデミー賞主演男優賞に輝いた。『猿の惑星:新世紀(ライジング)』(14)、『ハンターキラー 潜航せよ』(18)、『Mank/マンク』(20)、『オッペンハイマー』(23)など話題作へ出演。

監督/脚本

パオロ・ソレンティーノ

1970年、イタリア・ナポリ生まれ。25歳の時、ナポリ・フェデリコ2世大学経済経営学部で数年間学んだ後、映画界で働くことを決意。2001年、トニ・セルヴィッロとアンドレア・レンツィを主演に迎えた「L'uomoinpiù」で長編映画監督デビュー、ヴェネツィア国際映画祭に出品され、イタリア映画ジャーナリスト協会賞新人監督賞受賞、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では新人監督賞と脚本賞にノミネートされた他、数多くの賞に輝いた。『愛の果てへの旅』(04)がカンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では作品、監督、脚本賞を含む5部門と、その他のイタリアの重要な賞を多数受賞した。続く「L’amico di famiglia」(06)は、カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品。『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』(08)は、ショーン・ペンが審査員長を務めた同映画祭で審査員賞に輝き、アカデミー賞®メイクアップ賞にノミネートされた。その後2011年に、そのショーン・ペンを主演に初めての英語作品『きっとここが帰る場所』でカンヌ国際映画祭エキュメニカル審査員賞、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では脚本賞など6部門を受賞。『グレート・ビューティー/追憶のローマ』(13)もカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、第86回アカデミー賞®外国語映画賞を始め、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞など主要な映画賞にも多数輝いた。英語作品2作目となる『グランドフィナーレ』(15)もカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、長編デビュー作から6作品連続でのカンヌ国際映画祭への出品を果たす。『グランドフィナーレ』は、ヨーロッパ映画賞作品賞、監督賞、主演男優賞、名誉賞の4部門に輝き、アカデミー賞®主題歌賞ノミネートのほか、各国主要映画賞13部門受賞、44部門にノミネートされるなど映画賞を席巻した。2019年にはイタリアの元首相ベルルスコーニをモデルにした『LORO 欲望のイタリア』、2021年にネットフリックスで製作された『The Hand of God -神の手が触れた日-』は第78回ヴェネツィア国際映画祭で審査員大賞を受賞した。映画の他にも、TVドラマや短編も数多く手がけ、2010年には小説「Hanno tutti ragione(みんなの言うとおり)」や2冊の短編小説集を出版しており、「Gli aspetti irrilevanti」 (2016)はイタリアで最も権威のある文学賞であるストレガ賞の最終候補に残った。2016年にはジュード・ロウ、ダイアン・キートン、シルヴィオ・オルランドが出演したローマ教皇をモチーフにした初のテレビシリーズ『ヤング・ポープ 美しき異端児』(DVD)を手掛けた。

なぜ女性を主人公にした物語にしようと思ったのですか?

『パルテノペ ナポリの宝石』のアイデアは、時間の経過と人生の変化について考える、瞑想の中から始まりました。人生が変われば、物事への感じ方も変わるし、経験に対する感動も変わる。過去を振り返って、その年月に経験したことや逃したことに思いをはせる時もあれば、未来を見つめて、それが現在ととても近く感じられる時もある。私たちの人生は壮大な物語であり、願わくば人生は長いものであってほしい。愛、苦しみ、失望、他人を失望させるような経験にも耐えられる人間の姿には、何か英雄的なものを感じる。私は元来、女性は時間の経過により敏感だと感じている。なぜなら、女性は男性よりも、彼女たちに起こりうる特定の瞬間において人生を評価されてしまうからだ。時間の経過というアイデアを深堀り、壮大でありながら耽美で、英雄的な映画を作りたかった。そして私は、現代のヒーローは男性ではなく女性だと信じている。なので、このアイデアは女性を主人公にしたものだと思いました。パルテノペ自身が自由の象徴なのです。

若いパルテノペは誰もが見つめるような肉体美を持っていますが、あなたは彼女自身の視線とその背後にあるものに関心を寄せています。美しさについて何を伝えたかったのですか?

容姿の美しさにはそれほどこだわっていませんでした。容姿は人生に必要な要素ではない。美しさが人々の人生に影響を与えることは事実だが、人生を生き延びるためには、他のスキルを身につけなければならない。パルテノペ役のセレステが美しいかどうかさえ、私には言い切ることはできないよ。きっと彼女は美しいだろうが、私が彼女を選んだ理由はそれではない。それよりも、私はセレステのどこか痛々しいまなざしに魅了された。その一方で、相反するものだが、人生に対する好奇心も感じられた。セレステを抜擢した後は、パルテノペの役柄に、若者の典型的な痛みを、まなざしに与えていった。若いときはなぜ痛みを感じるのか理解できないし、年老いても理解できないこともある。でも、その痛みはそこにある。でも若い時は、痛みを抑えるために自分を解放し、人生を最大限に生きることを学ぶ。それが人間であることの神秘的な部分だ。

あなたはゲイリー・オールドマンを、これまで一緒に仕事をした中で最高の俳優の一人と評しています。なぜジョン・チーヴァー役に彼を起用したのですか?

ゲイリー・オールドマンが私と仕事をしたいと言っているインタビューを聞いた。それを知った次の日、彼の電話番号をもらって電話をかけたよ!その時は、自分がどんな映画を作るかはまだわからなかったが、自分の作るどんな映画であっても、彼は素晴らしいから、必ず演じられるキャラクターがあると思った。彼はとてもレベルの高い俳優だ。僕は「彼が演じられるキャラクターを切り拓かなければならない」と思ったね。

監督は、本作は時間の経過と、自由でありたいという彼女の願望についての物語だと言っています。パルテノペとはどのような人物だと思いますか?

パオロはパルテノペのキャラクター設定において、多くの問いに答えようとしていると思います。彼女はどうすれば自由になれるかを常に探し求め、模索している人物ですが、彼女の行動はどれも計画的ではありません。そして、この映画は時間が私たちに与える影響について描いた映画でもあります。パルテノペにとって、非常に辛い出来事によってまだ幼い彼女の人生は中断されます。そしてそれにより、彼女の時間に対する認識と、時間を使って何をするかの考え方が変わっていきます。

パルテノペの美しさに短絡的に寄ってくる人々について、どう思いますか?その様子がスクリーン上ではっきりと描かれているのは興味深いです。

ごく普通のことだと思います。パルテノペは、自分が魅力的で、注目を集めることを知っていて、その美しさによる力をもてあそび始める。最初のうちは、彼女はその力に少し無頓着で、監督はその様子を優しく描きます。その優しさがあるのは、彼女がとても若く、自分が女になりつつあることを知っていて、それに興奮しているからです。パルテノペは、最初は自分の肉体美のもたらす力の大きさを知らず、その力を利用する楽しさを発見します。しかし、ある時期を過ぎると、容姿は誰に対してもそれほど重要ではなくなってくる。彼女の人生では、他の優先事項が中心になっていくのです。

ジョン・チーヴァー役で出演しているゲイリー・オールドマンとの共演はいかがでしたか?

私はゲイリーとのシーンが大好きです。パルテノペが自分の魅力に気づき、自分の誘惑の力を遊びとして使い始めるのは、まさにジョン・チーヴァーと初めて出会った時だと思います。二人が出会った瞬間はとても特別な瞬間です。彼が彼女の好きな作家だと知る前から、彼の魂が見えるような気がしているのです。彼女は彼の本から感じるのと同じ磁力を感じています。パルテノペは、ジョン・チーヴァーの中に自分自身や自分の兄を見ているのかもしれません。周囲の世界に馴染むことができない人々のメランコリックな姿勢です。世界の一部になれないことは、彼女にとって苦痛なのです。

本作に出演することになった経緯を教えてください。

アマルフィ海岸の映画祭でインタビューを受けていて、『誰と一緒に仕事をしたいですか』と聞かれた。これまで、いろんな監督と仕事をしてきたけど、パオロの映画はずっと好きだった。哲学、ユーモア、ウィット、どんでん返し、驚きがあり、いつも豪華に撮影され、映画はリアリズムではないが、不条理でもない。さらに、私がとても魅力的だと思うような、美しく、すばらしく、欠点のあるキャラクター達を描く柔軟性がある。だから、私はいつもパオロの大ファンなので、誰かに「誰と仕事をしたい?」と聞かれれば、パオロ・ソレンティーノが一番に思い浮かぶ。しかし、「ヤング・ポープ 美しき異端児」は別として、彼は主にイタリアで仕事をしているし、おそらく実現しないだろうと思っていた。でも、私がそれを宇宙に発信してみたら、それが彼に伝わったようで、誰かが「ゲイリーがあなたと仕事をしたいって」と言ったんだと思う。そして監督から連絡がきて、「君が僕のファンだと聞いているし、君の作品がとても好きなんだ。脇役だけどとても素敵な役があって、ぜひ来てくれないか?」と言われたんだ。僕は「壁の影の役でも演じるよ!気にしません。脚本を読む必要もなく、やります。」って返事を書いたと思う。そうして私たちは結ばれ、撮影初日には自分自身をつねってこれが現実かを確認していたよ。信じられなかったね。

パルテノペ役のセレステ・ダッラ・ポルタはどうでしたか?

彼女の人生が変わってしまうから、とても守ってあげたいと思ったよ。この間、インタビューに向かう途中、写真を撮ったりサインをもらったりしたい人たちが集まっているところで、彼女はその人たちの中をするすると抜けていった。彼らはセレステが誰なのかすら知らなかったんだ。でも、これからはすっかり変わるだろうね。だから私は、彼女をとても大切に思っていて、それは私たちの映画の中での関係と同じさ。私にはキャリアもあり、年を取っているが彼女は完全にまっさらだ。作家になる夢を抱いていたパルテノペが、ずっと年上で、キャリアがある人に出会ったようにね。個人的なダイナミズムは、クリエイティブな活動と作用しあうものさ。

撮影は、俳優としてとてもパワフルな時間だったようですね。

ああ、撮影はとても集中できたと同時に、本当に楽しい時間だった。パオロは一緒に仕事をしていてとても面白いよ。まるでオーケストラか何かを指揮しているような感じなんだ。とても落ち着いていて、騒がしくない。クルーたちも彼と一緒に仕事をしたことがある人が集まっていて、監督が望むであろうことを予期している。撮影監督のダリア・ダントニオは彼の義理の妹だ。もう家族の一員になったようなものだ。どの監督もそれぞれのやり方を持っているから、パズルのピースのようにそこにはまるよう、自分のやり方を見つけ、自分をどう組み込むかが重要だ。私はパオロのことをそれほどよく知らないし、主に撮影現場でしか彼の仲間を経験したことがないが、彼はとても素敵な人なことは間違いないよ。