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HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA

11/12 Fri. シネスイッチ銀座、シネクイント、大阪ステーションシティシネマ他全国順次ロードショー

『サヨナラアメリカ』細野晴臣さん追加舞台挨拶 決定! 細野晴臣 夢十夜 細野晴臣 2021.12.22 3タイトル一斉発売 細野観光 1969-2021 | 11.12→12.7  グランフロント大阪 北館 ナレッジキャピタルイベントラボ
音楽はおもしろい 音楽は自由だ マスクいらないから。

INTRODUCTION

普遍的な音楽を創造し続ける
唯一無二の音楽家 細野晴臣

「エイプリル・フール」でデビュー、その後「はっぴいえんど」、「ティン・パン・アレー」、「Yellow Magic Orchestra」として活動、80年代には松田聖子、中森明菜などの楽曲を手がけ、フォーク、ロック、ポップス、テクノ、アンビエント、ワールドミュージック、エレクトロニカなどさまざまな音楽を探求する一方、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作『万引き家族』(18)等のサウンドトラックを手掛けるなど常に変化を繰り返し、斬新にして普遍的な音楽を創造し続ける細野晴臣。作曲、プロデューサー、レーベル主宰者としても活動し、多方面にわたりその才能は発揮されている。2019年、音楽活動50年を迎え、初のアメリカでのソロライブをニューヨークとロサンゼルスで開催、大盛況を収め、日本では展覧会「細野観光1969-2019」を開催、そして細野晴臣の音楽活動の軌跡を追体験できる『NO SMOKING』(19)も公開され、数多くの人が唯一無二の音楽家の偉大な軌跡に賛辞を贈った。

幸福感と高揚感に満ちた“細野晴臣”
集大成のライブ・ドキュメンタリー

音楽活動50周年を迎えてから2年、世界は一変、突然現れたウィルスにより、それまで普通だったことが、普通でなくなり、音楽も映画も舞台も、全てのエンターテインメントを家で楽しむことが余儀なくされる日々が普通になってしまった。ライブは映像として伝えられ、人々が同じ空間で音楽を楽しんでいたのは過去の出来事。そんな自由が制限された世界だからこそ、”In Memories of No-Masking World”(マスクがなかった世界を偲んで)、 2019年アメリカ、ニューヨークとロサンゼルスで開催された“集大成”となるライブを記録する、幸福感と高揚感に満ちたライブ・ドキュメンタリーが完成した。アメリカの舞台で軽やかに、自由に、ギターを奏で、歌う細野晴臣、彼は今何を思い、語るのか—。17曲の楽曲で彩られるライブを映画館で観るのも今の時代だからこその“楽しみ”なのである。

OUTLINE

“憧れの地”アメリカでの初のソロライブ
戦後直後の1947年に生まれた細野晴臣は、幼少期のころよりアメリカのポップス、ロックに親しみ、アメリカ文化に多大な影響を受けながら、1969年に「エイプリル・フール」のベーシストとしてデビュー。それから、50年後の2019年、5/28・29ニューヨークのグラマシー・シアター、6/3ロサンゼルスのマヤン・シアターでアメリカでの初のソロライブ“HARUOMI HOSONO CONCERTS IN US”を開催。チケットはすぐに完売、ライブ当日はファンが長蛇の列になり、細野晴臣の音楽を語る。

「好きなアルバムは「パシフィック」、文字通り100万回聞いたわ」
「構築されていて、躍動感があって、愉快で気が利いている彼の音楽が好きなんだ」
「細野への愛と偉大な良き時代のアメリカ音楽の愛のために来た」
「僕の人生の中で一番“アメリカ”を感じたよ。
まるで、ノーマン・ロックウェルの絵を見たみたいに 」
アメリカン・ミュージックへの愛と尊敬が詰まったすべての曲に、観客は酔いしれ、ライブ会場は細野晴臣と彼の音楽により幸せあふれる空気に包まれる。
そんなライブから2年後の2021年夏、髪が伸びた細野晴臣が静かに語る。「あのニューヨークとロサンゼルスでやったライブはまるで別世界の出来事のように思える」と。しかし、今だからこそ、2年前のライブ映像、楽曲にまつわる映像、ホーギー・カーマイケル「Hong Kong Blues」、『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56)等、そして細野晴臣自身の直近のトークで構成された本作『HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA』が完成したのである。
ロサンゼルスのライブ後、興奮止まないファンが口にする“Come Back Anytime!”は、 映画館で楽しむ観客もきっと同じように感じるに違いない!

CAST PROFILE

HARUOMI HOSONO 細野晴臣 Vocal & Guitar
1947年東京生まれ。音楽家。1969年「エイプリル・フール」でデビュー。1970年「はっぴいえんど」結成。73年ソロ活動を開始、同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。78年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、歌謡界での楽曲提供を手掛けプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント、エレクトロニカを探求、作曲・プロデュース・映画音楽など多岐にわたり活動。

SPECIAL APPEARANCE

DIRECTOR PROFILE

TAKETOSHI SADO 佐渡岳利 監督
プロデューサー・映画監督。1990年NHK入局。現在はNHKエンタープライズ・エグゼクティブプロデューサー。音楽を中心にエンターテインメント番組を手掛ける。これまでの主な担当番組は「紅白歌合戦」、「MUSIC JAPAN」、「スコラ坂本龍一 音楽の学校」「岩井俊二のMOVIEラボ」「みんなのうた」「細野晴臣イエローマジックショー」など。細野晴臣の「NO SMOKING」、Perfumeの『WE ARE Perfume -WORLD TOUR 3rd DOCUMENT』などのドキュメント映画も監督。
細野晴臣公式サイト:hosonoharuomi.jp/