COMMENT

(順不同・敬称略)
各界著名人から
絶賛の声続々
『瞳をとじて』は徹頭徹尾
「座っている人間にどうカメラを向けたらよいのか」
を問う。
そのとき、彼と彼女の「顔」をどう撮ればよいのか。
最もシンプルで、もしかしたらつまらない、
解けようもない問いに、
ふと答えが与えられるような時間が
長い旅の果てに訪れる。
『夜の人々』『リオ・ブラボー』、
そして何よりも『ミツバチのささやき』…、
自分自身が映画史そのものである人だけが
できるやり方で、
エリセは失われた記憶を甦らせようとする。
その苦闘があまりに切実で、深く胸を打たれた。
濱口竜介
映画監督
「ミツバチのささやき」「エル・スール」を観たのが
学生時代。
いつかこんな映画を撮ってみたいと思った、
そんなビクトル・エリセの三作目の劇映画には
スマホがあり、
フィルムは過去の産物のように描かれる。
フィルムの中に失踪した俳優の瞳に映る
フィルムという迷宮。
エリセ自身のフィルモグラフィの空白とも
重ね合わせると、
僕如きに拙速な答え合わせなどできるはずもなく。
岩井俊二
映画監督
フランコの独裁政治が終わった後、
人々はどう生きたか?
それがこの監督の一貫したテーマだ。
ぼくの横でこの映画を共に見たMさんは
こう感想を述べた。
「荘重な映画だ」「刺激を受けた」。
鈴木敏夫
スタジオジブリ
佇む少女の、人間を超越したかのような眼差しが、
あの頃と同じく私の胸を射抜く。
ただ目を閉じて、
瞼の裏に浮かぶ像に思いを馳せるしかない。
細田守
アニメーション映画監督
再会した人をみつめ、声を聴き、隣に座る、
その時間があまりにも尊い。
もう決して若くはない人々の澄んだ皺や眼差しや歌声に
どうしようもなく胸が高鳴り、
つい、もう二度と会えない人まで瞼に浮かぶ。
老いること、長い時間が経つことの残酷さや歓びを
私自身はまだ十分には知らないけれど、
今後、この映画とともに老いることができるのが
私たちの人生なのか。
こんな出会いが、
こんな映画体験が人生に存在するなんて。
三宅唱
映画監督
ビクトル・エリセ監督(83)の31年ぶりの新作!
なんとアナ・トレントにも逢える!
映画の親子と映画の中の映画の親子、
映画の中の監督とエリセ監督自身とも重なる。
なんとも不思議な重層構造なのだ。
誰もが歳を取る。監督も俳優も観客も映画館も。
その映画たちと生きた僕らの記憶も薄れていく。
しかし、本作は映画の“永遠の力”を示す。
これはエリセ監督とシネフィルたちが
“映画人生”を振り返る
老獪な「ニュー・シネマ・パラダイス」だ。
小島秀夫
ゲームクリエイター
俳優の失踪によって未完のまま終わった映画と、
俳優の行方を追っていく数十年後の現実。
このふたつの物語が呼応していくさまに圧倒された。
若さ、記憶、過ぎ去った時間、
フィルムや映画館など、
忘れ去られていくものたちを懐古しながらも、
世界に背を向けて慣れ親しんだ〈過去〉と
心中するような素振りはない。
むしろ、それらを必要としていないかもしれない
〈未来〉をも生きるのだという意思が、
そこはかとなく漲っている。
映画にまつわる営みに飲み込まれる169分。
その後味は清々しくて、
ビクトル・エリセという巨匠の凄みを改めて感じた。
岨手由貴子
映画監督
何よりも映画愛!
未完に終わった映画「別れのまなざし」の
監督と主演男優の20年後。
失踪と記憶喪失と発見。
残っていたフィルムと
それを上映する地方都市の閉じた映画館。
そしてスペイン人たちの顔の魅力! 
男優の娘のアナも、元美女のロラも、介護するべレンも
実にいい顔をしている。
男たちも同様。
海辺の村はここにこそ住みたいと思わせる。
そういうことの全部をミゲルを演じる
マノロ・ソロの表情術が巧みに繋いでゆく。
池澤夏樹
作家
寡作な名匠の復帰を待ち続けたすべての者を
祝福する傑作。
再びエリセの眼を通じて
アナ・トレントを拝む日が来るとは。
銀幕に映る光から
エリセが映画へ向ける一途な憧憬と慈愛を受けとめ、
芸術が魂と結びつく瞬間を感知した。
これほど完璧な幕切れに、
人生であと何度出会うのだろうか。
ISO
ライター
ビクトル・エリセ31年ぶりの新作というだけで
胸がいっぱいになるのに、
大きく膨らんだ期待を超えた感動と感慨が
押し寄せてきて席を立てなくなった。
意識的なキャリアの総括を思わせる
脚本、配役、セリフは、
監督としてだけでなく人生の総まとめとも受けとれる。
どのように生きて全うするか。
静謐なスクリーンに潜伏したエリセの息遣いが
聞こえるような気がした。
奥浜レイラ
映画・音楽パーソナリティ
シネ・ヴィヴァン・六本木は、
現在の六本木ヒルズの下に消えた
かつての映画村であるが、
その歴史の中にあって
最も鮮烈なリュミエールを放った映画は、
『ミツバチのささやき』だった。
この作を一語に凝縮するなら
「ソイ・アナ(私はアナよ)」という
アナ・トレント七歳時の台詞だ。
この新作長編は余りにも初々しく、
ミツバチから50年の時が
瞬きの間であったかのように錯覚させる。
と同時に、エリセ自身を重ね合わせた
登場人物たちの老いを稠密に描き出し、
人の生のうつろい(とその記憶を)を表現した。
フィルムが力を持っていた時代の映画を観て、
啓蒙されるべし。
塚田誠一
シネ・ヴィヴァン元支配人
『瞳をとじて』は、時間の流れと
人間の心の奥深くを映し出す。
静かな自己受容、共有された温もり、
年齢を超えた美しさ、人生の豊かさ、不変の絆。
これらは、人生の繊細な糸を織りなす。
このタイミングでこの映画に
巡り会えたことを、心から感謝している。

長場雄
イラストレーター
“リュミエール兄弟の当初の計画から
今に残っているのは映画館だけだ。
技術の発展により、
私たちは自宅で映画を鑑賞するようになり、
鑑客としての経験もすっかり変わってしまった。
しかし私は、
映画を観るという公共的な経験を守りたい。”
──ビクトル・エリセ
(サン・セバスティアン国際映画祭(2024年)にて)
『瞳をとじて』全国の映画館で働く
スタッフの皆さまからも
絶賛コメントが到着!
全く同じに聞こえるかもしれないが
この映画は面白いではなく、
面白いと思わせる映画である。
降り積もった知識が成せるこの劇空間に漂う
魔性の体験。
踏み込んでしまったが故に
未だに抜け出せない自分がいる。
もう抜け出せないんだろうな…。
東京テアトル株式会社
(番組編成部 西澤彰弘)
過去を忘れられない人と
過去を捨ててしまった人の対峙。
フィルムに刻まれるのは
単なる物語を超えた”記憶”である。
揺るぎないエリセの”映画術”を体験する169分―。
少女の眼差しに心をさらわれ、
待ちに待った時間はあっという間に過ぎてしまった。
早稲田松竹
(番組編成)
『瞳をとじて』を見れば、たとえ宇宙人であっても
映画がどんなものであるかわかると思う。
俳優、映画監督、その家族や恋人たち。
そしてもう誰もが映画に関わる人たちのことを
忘れてしまったとしても、
フィルムの光を汲む人さえいれば映画は甦る。
早稲田松竹
(番組編成)
83歳の巨匠の新作はなんと軽やかだろう。
自身が映画史とも言える監督が、
映画の過去と現代とを自由に行き来しながら
物語を紡いでいく。
記憶を辿り悲しみをたたえながらもその眼差しは
未来を見据えているように感じられたことが、
ただひたすらに嬉かった。
下高井戸シネマ
(劇場スタッフ)
心に刻まれた過去の記憶はきっと消えない。
ふたりの男が唄うタンゴは静かで、熱く、永遠――。
エリセが描くふたりの男を繋ぐものは<映画>。
映画館で働く者ならば
一度は経験してみたいあの場面は、
限りなくピュアで美しい。
目黒シネマ
(劇場スタッフ)
知らぬ間に無くした大切な何かを拾い集め、
そのかけら一つひとつに触れるごとに思い出す、
あの時の体温と心の高鳴り。
映画はいつの過去をも蘇らせる心の琴線であることを
教えてくれました。
目黒シネマ
(劇場スタッフ)
エリセが自身と映画の関係に
終止符を打とうとするのかと思いきや、
次第にエリセ以外の人間の記憶、諦念、
希望の詩へと変容していく。
「集大成」という言葉では収まりきらない、
巨大で卓越した表現。
まるで映画が映画を超えていくような感覚を覚えた。
新文芸坐
(支配人)
スクリーンに投影された映像が、
眼差しを送る者たちの記憶や人生と溶け合うとき、
暗闇の中で奇跡は起きる。
エリセ監督は映画の持つ力を信じて
探究を続けてきた。
映画館も映画の魔法が実現する
夢の場所であり続けたい。
サロンシネマ
(銀幕部長)
同時代にビクトル・エリセ監督の新作を
観ることのできる多幸感で満たされました。
変わりゆく映画産業を憂いつつも、
映画館の暗闇に身を投じ、
スクリーンに映るものに目を凝らし、耳を澄ます……
この豊かさを改めて噛みしめました。
シネマテークたかさき
(支配人)
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