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About the movie

Introduction

『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督がマエストロの葛藤と栄光に迫る。芸術の深淵を見た彼が、カメラの前で最後に語ったこととは――?
2020年7月、世界は類稀なる才能を失った。エンニオ・モリコーネ、享年91歳。1961年以来、500作品以上という驚異的な数の映画とTV作品の音楽を手掛け、アカデミー賞®には6度ノミネートされ『ヘイトフル・エイト』(15)で受賞し、2006年にはその全功績を称える名誉賞にも輝いた。
そんな伝説のマエストロに、弟子であり親友でもある、『ニュー・シネマ・パラダイス』『鑑定士と顔のない依頼人』のジュゼッペ・トルナトーレ監督が、5年以上にわたる密着取材を敢行。結果として、生前の姿を捉える最後の作品となってしまった、ドキュメンタリー映画を完成させた。
スクリーンの中では、モリコーネ自らが自身の半生を回想、かつては映画音楽の芸術的地位が低かったため、幾度もこの仕事をやめようとしたという衝撃の事実を告白する。クラシック音楽の道へ進まなかった葛藤と向き合いながら、いかにして音楽家としての誇りを手にするに至ったかが、数多の懐かしい傑作の名場面と、ワールドコンサートツアーの心揺さぶる演奏と共に紐解かれていく。
さらに、名前を見ただけで息をのむ70人以上の著名人のインタビューによって、モリコーネの仕事術の秘密が明かされる。生まれ持った才能と閃き、貧しかったために働きながら通った音楽院での地道な努力、新しいムーブメントを取り入れる柔軟なセンス、信念に反することは断固拒否するプライドについてのエピソードによって、モリコーネの人生そのものが偉業であったことが証明されていく。
同時に、初公開となるプライベートな映像が、奇才のチャーミングな人間性と妻への美しい愛を浮き彫りにする。「ジュゼッペ以外はダメだ」と、モリコーネ自身が本作の監督に指名したトルナトーレの前だからこそ、最後に口にした芸術の深淵を見た者の言葉とは─?
今も、そしてこれからも、モリコーネのメロディを聴くだけで、あの日、あの映画に胸が高鳴り涙した瞬間が蘇る。同じ時代を生きた私たちの人生を豊かに彩ってくれたマエストロに感謝を捧げる、愛と幸福に満ちた音楽ドキュメンタリー。
あなたのメロディに、心揺さぶられ、励まされ、共に生きてきた。唯一無二の旋律で映画に愛と命を吹き込んだ天才音楽家に、今、拍手を―――
Ennio Morricone

Story

世界的な名声を手にしたマエストロの一日は、驚くほど“地道”な作業で幕を開ける。ただ黙々と、ルーティーンのストレッチをこなすのだ。
幼かったモリコーネを音楽へ導いたのは、トランペット奏者の父親だった。父が決めた音楽院に入学するが、病に伏した父の代わりにナイトクラブでの演奏で家計を助けることになるなど、苦労の多い青年時代を送る。当時のモリコーネの心の支えは、学んだばかりの“作曲”だった。この時に教えを請うた偉大な作曲家ゴッフレード・ペトラッシが、モリコーネの生涯の心の師となる。
卒業後、恋人のマリアと結婚したモリコーネは、生活のためにRCAレコードと契約し数々の編曲を手掛ける。クラシックの高度な作曲技法と、当時の最先端だったノイズを多用した実験音楽を取り入れることによって全く新しいアレンジを生み出し、「編曲を発明した」とまで絶賛されたモリコーネは、ポール・アンカやチェット・ベイカーなど、人気アーティストからも指名されるようになる。
モリコーネの実力は評判を呼び、やがて映画音楽の仕事が舞い込むようになる。その中の一人、セルジオ・レオーネ監督はモリコーネの小学校の同級生だったこともあり、たちまち二人は心を許し合う。『荒野の用心棒』(64)の印象深い口笛の曲が、二人のタッグの始まりを告げる狼煙となった。
しかし、モリコーネには、映画音楽に携わることに葛藤があった。師のペトラッシはアカデミックな音楽家にとって、商業音楽を書くことは道徳的に非難されると考えていたのだ。「自分は裏切り者だ」と苦悩したモリコーネが、どうやって誇りを取り戻したのか、カメラは彼の心の内側に迫る。
やがて葛藤を乗り越えたモリコーネは、「製作者や監督にとって“成功の保証”となった」とジュゼッペ・トルナトーレ監督が証言する。あの異才にして巨匠のスタンリー・キューブリック監督までがモリコーネにオファーしたが、おそらく嫉妬にかられたレオーネが勝手に断ったという仰天の事実が明かされる。どうしてモリコーネは、これほどまでに引っ張りだこになったのか? モリコーネと同時代の作曲家ジョン・ウィリアムズや、その後を追うハンス・ジマーが、音楽的な分析を披露する。
盟友レオーネとの最後の作品となった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)は高く評価され、「商業音楽に魂を売った」とモリコーネを無視していたかつての学友が、彼に謝罪の手紙を書くなど、音楽界の“事件”となった。モリコーネ自身の中でも一区切りがつき、彼は映画音楽を離れようと決心する。だが、そんな彼を引き留めたのも、やはり映画だった。『ミッション』(86)のラッシュを観て、純粋に心を揺さぶられ、魂を込めた音楽を書き上げたのだ。だが、確実視されたアカデミー賞®を逃し、「理解してもらえない」と傷ついたモリコーネは、自身の原点である室内楽の作曲へと戻っていく。
今度こそ本当に映画音楽と決別したモリコーネに、フェリーニ作品で知られる名プロデューサー、フランコ・クリスタルディから依頼が届くが、モリコーネは即座に断る。ところが、強引に送られてきた脚本を読んだモリコーネは心を変える。当時、全く無名の新人監督に自ら電話をかけ、「私が曲を書こう」と申し出たのだ。彼こそがジュゼッペ・トルナトーレ、モリコーネに映画の楽しさを思い出せたのは、『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)。モリコーネの新たなるステージの始まりだ。
それからのモリコーネに迷いはなかった。9.11の悲劇に捧げたシンフォニー、アカデミー賞®名誉賞受賞、南米・アジア・欧州を回るコンサートでの観客の熱狂、6回目のノミネートで果たしたアカデミー賞®作曲賞受賞─。
最後にマエストロが、親友トルナトーレのカメラを通して、私たちに伝えてくれたこととは─?

Profile

エンニオ・モリコーネ Ennio Morricone
Photo:MARTA SPEDALETTI

エンニオ・モリコーネ Ennio Morricone

1928年ローマ生まれ。幼少期よりトランペットを習い始め、サンタ・チェチーリア音楽院で作曲を学ぶ。同音楽院卒業後、伊RCAレーベルの看板アレンジャーとして活躍し、『Il Federale(ファシスト)』(61)で単独名義による映画音楽作曲家デビュー。セルジオ・レオーネ監督とのコンビ第1作『荒野の用心棒』(64)が世界的な注目を集め、以後『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)までレオーネの全監督作で音楽を担当。『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)で初めてタッグを組んだジュゼッペ・トルナトーレ監督とは『ある天文学者の恋文』(16、映画音楽での遺作)までコンビを組み続け、生涯に500本以上の映画・テレビ音楽を手がけた。『ヘイトフル・エイト』(15)でアカデミー賞®作曲賞受賞、『天国の日々』(78)『ミッション』(86)『アンタッチャブル』(87)『バグジー』(91)『マレーナ』(00)で同賞ノミネート、2007年アカデミー賞®名誉賞受賞。2020年、91歳で逝去。

Director

監督 ジュゼッペ・トルナトーレ Giuseppe Tornatore

監督 ジュゼッペ・トルナトーレ Giuseppe Tornatore

1956年、イタリア、シチリア州生まれ。1976年、短編ドキュメンタリー映画で監督デビュー。初めてモリコーネとタッグを組んだ『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)が、カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ、アカデミー賞®最優秀外国語映画賞を始め数々の栄誉ある賞に輝き、全世界で大ヒットを記録。以来、全監督作品でモリコーネとタッグを組み、数々の名作で映画史に名を残す。1995年、『明日を夢見て』でヴェネチア国際映画祭審査員特別賞を受賞、アカデミー賞®外国語映画賞にノミネートされる。2013年、『鑑定士と顔のない依頼人』がダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞・監督賞他6部門を受賞。その他の主な作品は、カンヌ国際映画祭パルム・ドールにノミネートされた『みんな元気』(90)、同賞にノミネートされた『記憶の扉』(94)、『海の上のピアニスト』(98)、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞にノミネートされた『マレーナ』(00)、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で12部門にノミネートされた『題名のない子守唄』(06)、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞にノミネートされた『シチリア!シチリア!』(09)、『ある天文学者の恋文』(16)など。
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ『ニュー・シネマ・パラダイス』|モリコーネ 映画が恋した音楽家|大ヒット上映中|TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ他 全国順次ロードショー